佐久間闇子と奇妙な世界

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<<   作成日時 : 2010/04/06 00:00   >>

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<幼少期T>

私の最も古い記憶は以下の中の1つだろう。
寝室から、両親が口論をしているのを覗いていたこと。米を撒き散らしたこと。カセットテープをワカメにしたこと。ティッシュをばらまいたこと。弟をつついたこと。
我ながら、ろくでもない糞餓鬼である。記憶してるだけでこれだから、全体ではどれだけの被害を出していたのかゾッとする。両親はよく耐えたものだ。こんなのが私の子供だったら捻り殺している。
その両親が本気でケンカをしたのは、私の記憶する限りでは2回しかない。洞察するに、そんな回数では済まなかったはずだが、両親が子供には知られないように気を配っていたのか、私が鈍すぎたのかは定かではない。



<幼少期U>

もう少し成長した頃の記憶は、テレビの見過ぎで鼻血を噴いたこと。トイレを詰まらせたこと。阿呆である。
テレビでは、ひょっこりひょうたん島、ポンキッキーズ、にこにこぷん、セサミストリートなどをやっていた記憶がある。
ビッグバードは今でも気に入っている。ビッグバードは萌えキャラ。異論は認めない。あとガチャピンには様を付けんか無礼者め!(ハイスコア+ろるうに剣心)
何と言ってもこの頃は父親によく電車に乗せてもらった。思い出が残りにくい私が今でも記憶しているということは、相当な回数乗ったのだろう。
母親に聞いた話では、「ねないこだれだ」という絵本に怯えていたらしい。馬鹿な、あんな萌えキャラに?



<小学生T>

信じられるか、私は小学校以前までは活発で明るい子供だったそうだ。自分で言ってても嘘くさい。
小学校デビューに失敗したんだ。机の移動で指を挟んだ子供が私のせいにして怒鳴り散らしたものだから、すっかり人間が怖くなった。あと、筆記用具を奪われたりした。
というわけで、4年生の前半までは嫌な思い出が数えるほどしかなく、良い思い出は1つも無い。つまり幼少期からこれまでは順風満帆な人生を歩んできたわけだが、4年生後半あたりから雲行きが怪しくなってくる。
あ、芋掘りはあったな。楽しかったのかどうか覚えてないが。
あと、人生で2番目か3番目くらいに猛勉強したはずだが、殆ど記憶に無い。1番勉強してるのは大人になってからであることは言うまでもない。



<小学生U>

4年生の後半から虐められるようになった。音楽室に閉じこめられて、複数人に囲まれて尋問まがいの罵詈雑言を浴びせられた。それ以降から私への虐めはエスカレートしていった。
5年生の時の担任は最悪で、生徒と一緒になって私を虐めた。私を教壇に立たせて、魔女裁判をやり始めた。私が勇気を振り絞って正義を主張すると、豚共は口々に身勝手な反論をしてきた。当時の私が豚以下の脳味噌しか持っていなかったことは忌々しいことであった。
6年生の時の担任は揉め事が嫌いで、子供の為に必要最低限の努力しかしない、ごく普通の教師だった。なので特に憎んではいない。せいぜい、無能な教師がいたもんだと時々思い出すくらいだ。
虐められた内容は多岐にわたる。汚物扱いされるのと、囲まれて罵詈雑言を浴びせられるのは毎日のこと・・・じゃなくて毎時間ごとで、筆記用具などの学習道具や図工で作った作品を壊されることもあった。トイレに閉じこめられたこと、階段を引きずられたこともあった。体育の時間は笑いものにされる時間と同義語である。そうそう、5年生の時の担任は馬鹿馬鹿しいことに休み時間まで集団での球技を強要する愚物であった。
帰り道までつきまとわれること多数、家にまで押しかけてきたこともあった。



<小学生V>
私が虐められたことに対して、両親がどれだけ努力し苦悩してきたかは、未だに一端を垣間見るに過ぎない。
父親を侮辱した屑の名前は生涯忘れない。今でも毎日のように吐き気を催す嫌悪と共にリフレインしてくる。
その頃の私の頭脳などというものは、およそ虫にも劣る拙さであった。両親の努力も苦悩も殆ど知ることなく、あろうことか「教師は正しい者の味方」などという幼稚で馬鹿馬鹿しい幻想を大真面目に信じ込んでいたのだ!
この教師に対する盲目的な信頼は、悪徳宗教と言っても差し支えあるまい。しかも散々痛い目に遭ってきたというのに懲りずに信頼し続けるという犬並みの従順さであった。
極悪な虐めに対して、私は精神を死んだ豚みたいに愚鈍化させることで、やり過ごした。何故もっと勇敢に立ち向かわなかったのか。あの中の誰か1人でも殺すか、せめて目玉を剔ってやったなら、私は自分に誇りを持って人生を歩んでいくことが出来ただろう。残念である。
それにしても当時の私の馬鹿さ加減には反吐が出そうだ。目の前にいたら半殺しにしてやりたいと思うくらいだ。蟻だって敵に噛みつくくらいの脳味噌は持っているのに。
弟と妹も虐められた。詳しくは書かないが、遥かに年下の人間を嬲る、連中の低劣な神経には虫酸が走る。そいつの名前も覚えている。
さて、忙しい中で両親は頑張った。当時における家庭の事情を振り返れば、最も忙しい時期の1つではなかったかと思う。そんな中で両親は私に対して誠実な対応をしてくれた。唯一の間違いは、嫌だと言ってるのに修学旅行に行かせたことである。全身に糞尿を浴びるよりも遥かにおぞましい数日間は、今でも私のトラウマだ。わざわざ何万円もの金を浪費して、嫌な目に遭いに行くというのは愚劣極まりない行為だった。
というわけで両親がどれだけ誠実に努力したかはわかったと思う。中学校時代も合わせれば5年以上の中で、明らかなミスはたった1つ。私からすれば超人的な行いだが、何と父親は「不十分な対応をした」と後悔しているのだ。全く、小5から中3までの私の担任共には揃って土下座し地べたを舐めて聞いてもらいたい。私の父親が稀な能力と誠実さの持ち主であることは言うまでもないが、要するにこの教師連中が揃いも揃って私よりも無能で低劣なだけのことだ。



<中学生>

小学校以上の劣悪な環境である。小5の時の担任以上に愚劣な教師が2人いたし、担任も屑同然だった。揃いも揃って加害者に味方し、私を「説得」してきたのである。
部屋に軟禁することは何回もあった。暗くて人の通らない部屋に連れ込まれたこともある。大人の教師が持つ権力と知力と腕力の前では、紙屑同然の知能の持ち主だった中学生の私は、いとも簡単に「説得」されてしまった。
そんな中、1人の教師が私に僅かにでも味方してくれた。その教師が私に味方したのは1回だけ。しかし、その1回が大きな救いとなった。それは中学生時代の思い出の中で、最も嬉しかったものである。
それに比べると担任教師は酷い。通知表を見たら、担任が担当している教科の成績が水増しされていたが、そんなものはいらないから早く死んでくれ。
水増しがあった教科はもう1つあったが、そっちは担当教師が違う。そちらの教師には恨みも憎しみも特に無いので、ありがたく受け取っておくことにしよう。そんなに気を遣ってくれなくてもいいのだが。
あと、父親がそこそこ高く評価していた教師がいたが、そんなに良い印象は無い。別に恨んでも憎んでもいないけど、どうも父親は教師を見る目は良くない。というより、甘い。叔母(父親の妹)との議論で確信した。父親自身は高い指導力と誠実さを備えた優れた教師なのだが、そのレベルを他人に要求することは控えているようだ。まあ、あまり切りまくっても悪い枝しか生えないということなのだろう。私が罵ることに躊躇いの無い教師共ですら、父親が見てきた教師の平均からしたらマシな方なのかもしれない。下には下がいる。マイナスの意味で底知れない。
その父親の指導で私は高校に合格した。ここから私の人生は最初の転換点を迎える。



<高校生>

高校時代、学校での嫌なことは2回しかなかった。校長と、購買部の人間と、教師の1人が、生徒を家畜のように見ていた。その関連で屈辱を味わった。
どうだろう。これだけでも、私の高校時代の素晴らしさがわかるのではないだろうか。3年間で嫌な思い出が2つしない。恥ずかしい思い出はたくさんあるけど、それは青春の1ページ、今は良い思い出だ。
それに、校長と購買部の人間は今でも吐き気と共に嫌悪しているが、その教師に関しては別に憎しみとかは湧いてこない。恨みはあるけど。
それよりも、高校時代は素晴らしかったという話をしよう。まず、中学時代の同級生が誰一人としていない。他に受けた連中は不思議なことに全員落ちた。私よりも学力が高い生徒もいたのだが、全く受験は水物である。
そして新たなる同級生には虐められなかった。親しくなった人までいた。親しいと言っても、中学までとは質が全く違う。同じにしてはいけない。幼少から中学生まででも、親しくなった人間はいた。しかしそれは精神の未発達な木偶共の群れに過ぎなかったことが「随分と後になって」わかった。
高校時代は素晴らしすぎた。挫折も経験したが、それも今では私の血肉になっている。
はっきり言って、自分の人生の中で二度と訪れないであろう僥倖の時代だった。あらゆる事が上手くいきすぎた。運が良すぎた。今から思えば怖いくらいにツイていた。
しかし、私は重大な失敗をしてしまったのである。あまりの居心地の良さに、ボーッと3年間を過ごすだけで終わってしまったのである!
何という勿体ないことをしたのだろう。積極的に友人になろうとすれば確実になれたと思う人が4人もいた。
それまでの環境が酷すぎたせいで、幸せの基準が低すぎた。
今となっては後の祭りである。
高校時代の楽しい思い出と言ったら、それはまだまだありますよ。体育祭も文化祭も楽しかった。
しかし、そんな幸運に恵まれすぎた時代にも終わりが来た。



<大人になってからT>

思えば受験勉強をしていた頃から精神病の兆候はあったが、人生で2番目か3番目くらいに猛勉強していたのが抑えていたのだろう。中学生までは小学生の時の貯金があったから高校受験も苦労しなかったが、高校では落ちこぼれたので大学受験は苦しかった。
大学に受かるなり精神病の発症。高校時代は割と克服していたはずの小中学校時代の嫌な記憶がどーっと蘇る。幻聴に悩まされ、胃は痛いし、頭は常に靄がかかっているような状態で、不安感が離れず・・・・・・とまあ、挙げたらきりがない。
もちろん大学の成績はダントツで最下位。優れた人間は一握りで、後は魂の抜けたような馬鹿揃いの大学だったが、その中でも一番下なのが私だったということだ。しばらくは耐えて通っていたが、受けたい授業だけ受けて、後はもう放棄した。
私は両親から学生運動について聞いていて、期待を胸に大学へ入ったわけだが、授業は意味不明だし、学生運動は衰退してるし、話にならない。期待はずれどころではなかった。
そんな中、とあるサークルに入った。学生運動の僅かな残り火だったが、私の人生における2つ目の大きな転換点になった。そこで学んだこと、そして家庭にフィードバックして両親との議論、またそれをサークルで語り・・・ということを繰り返し、1年や2年で私の能力値は以前の倍になっていた。自分の成長よりも、かつての自分の見識の狭さに驚愕したものだ。
しかし、そのサークルとも別れることとなった。私はサークルから多くのことを学んだが、向こうは私から学ぶことは特に無かったようである。悲しいことだが仕方あるまい。私の幼さと実践不足が主な原因だった。実践をしてない人間から学ぶことなど無いという姿勢は、必ずしも間違ってるとは言えない。革命活動で重要な4つのファクターは、全面性、具体性、運動、実践である。悲しいかな、私は4つのうちどれ一つとして、両親にはおろかサークルの人々にも遠く及ばなかったのだ。



<大人になってからU>

塾の講師を務めることになった。人に何かを教えるのは得意だったから、ぴったりの職業だと思った。
しかしそれが単なる思い上がりに過ぎないことは開始して初日で理解した。
私の能力は不足だらけだった。落ち込んで吐いたこともある。
それにしても学歴というのは何て役に立たないんだ。幼い頃から「学歴だけで中身の無い人間にはなるまい」と思っていたが、まさにそうなっていた。背筋が寒くなった。
そもそも学歴というのは収入と資格に結びつけなければ何の意味もない。取りたい資格は無かったし、学歴と結びつくような仕事には就いていない。人に教えるなら学歴じゃなくて中身だろう。
だから今の私が少しはまともな塾講師になったのは、学歴ではなく自分の努力の成果である。ああもう、学歴学歴って書いてて鬱陶しい。
学歴があって良かったと思う唯一のことは、そのくだらなさを「具体的に」知ることが出来たということだ。はあ・・・。
謙遜や遠回しな自慢だと思ってるなら大間違いだ。私は昔と違ってそんなに謙虚な人間ではないので、私の長所を評価するなら作家としての才能を評価してくれよ、と思ってるわけである。
フフフ、そう。8時間労働が出来る体力も、人付き合いを円滑に勧める知恵も無い私に・・・天は最も欲しい物を与えてくれた(感涙)! どんなことでも考えることの出来る、圧倒的な想像力! 紙よりも分厚くタンスよりも奥深いその力に、知り合いも「ちゃんと読める」と言ってくれたよ。
だから私は佐久間闇子に・・・こう呼ばれるようになった。「悪鬼」とね!
(ARMSネタ)



<大人になってからV>

思えば高校時代からカンブリア爆発みたいにマンガや小説を読み漁り始めたが、それが大きい。幼少期から絵本、もう少し大きくなってからはマンガや小説も読むようになったが、学校で学んだことよりもマンガや小説から学んだことの方が遥かに幅広く量も多い。
小説を数百冊、マンガを5000〜10000冊も読んで、ちょっとしたものかなと浮かれていたら、父親からその倍は読めと言われた。そこで気付いた。世界数十億人の平均では読んでる方に違いない。しかし、作家の中ではどうか。おそらく少ない方だろう。
やはり小学校などに行かず、家に引きこもっていれば良かったのだ。両親の教えを受ければ大学院生に倍する霊圧・・・じゃなくて学力を得られたはずだ。少なくともね。
BLEACHネタはさておき、学歴はいらないから学力だけもっと欲しい。得意だと思っていた数学で、自分の力が中途半端もいいところだと知ったときの、悲しみと絶望感は今でも忘れることが出来ません。ぺんたぶさんが『ケーキのレシピ』を開いたときの絶望とどっちが上かはわかりませんが。しかし何故ぺんたぶさんは絶望したのだろう。私なら喜ぶけどな。
それはともかく、私にはまだ歌があるじゃないか。しかし精神病の影響で歌えないこともしばしば。吐き気がする。
革命家としては未熟すぎる。実践に必要な体力が無い。小中学校時代の影響で運動は嫌いだ。
オタクとしてもレベルが高いわけではない。上には上がいる。こっちはプラスの意味で底知れない。
ククククク、しかしとっておきのがあるんだ。
小説はいいなあ、小説は。人生で一番楽しい苦労じゃないか?
ブログを始めたのが3番目の転換点。友達は出来たし、何度も飛躍したし、少年マンガの主人公並みのパワーアップじゃないか?
元がどれだけ低いんだというツッコミはさておき。自分の過去記事を読み返しても、黒歴史にしておきたいのもあったり・・・。しかし消すのもためらわれる。
というわけで今は幸せだ。最も幸運に恵まれたのは高校時代だったが、最も幸せなのは今現在だ。

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
いろいろご苦労があって、今のアッキーさんがいるんですね。
「今が一番幸せ」との言葉を聞いて、ホッとしました。
過去がどんなにつらいものであったとしても、逆に過去が幸福で現在が不幸であったとしても、いずれにせよ過去はもう存在しないのです。「今が幸せ」・・・
この「今」が、「未来」にも続いていくように、影ながら応援させていただきます。これからもよろしくお願いします<m(__)m>
とちの木
2010/04/06 05:37
『ねないこだれだ』の恐怖は今でも覚えているけど、ひょっこりひょーたんじまの記憶がない。
同世代の人が、おもいでポロポロを見て「ひょっこりひょーたんじま。懐かしい!」と。

なぜ私は見ていなかったのか?
何を見ていた?
どの時期かもわからないが。
デビルマン? ラリホーラリホーラリルレロのスーパースリー。ボヨヨンコイル。
あるいはスペクトルマン変身せよ。
逆に少し年上が「スーパースリー? 記憶にない」と。「ミラーマンは覚えているけど、スペクトルマンなんてなかった」と断言。
断言してどうする?
テレビしかない時代なのに面白い現象。
でも塾講師なんて私が逆立ちしてもできない職業。単純に凄いと思いますが。
書くことは人を幸せに導くのか?
本を読む人が少ないなら、書く人はもっと少ないだろうから。
ネットを一般市民に解放したのは素晴らしいことです。
沢里尊
2010/04/06 06:39
>とちの木さん
そうですね、二度と過去に戻ることはない・・。一度きりだからこそ耐えられたのかもしれません。今となっては当時の感覚が薄れていて、記憶と感情が残るのみですが・・。
幸せを手にすると、今度はそれを失う恐怖が出てくる。そんなときに応援してくれる人がいると思うと、心が休まります。
今は上り調子で良い気分です。
アッキー
2010/04/07 00:11
>沢里さん
挙句の果てには、最初のフレーズ「時計が鳴りますボンボンボン」を聞いただけで恐怖に震えていたというから・・・あの頃の感覚は完全に無くなってしまいました。今では幽霊よりも人間の方が怖くなって、これが大人になるということなんでしょうか(笑)。
ひょっこりひょうたんじまは、鼻血が出るほど観ていたにも関わらず、今では殆ど思い出せません。歌詞を覚えなおしたのは高校生のとき。実に中毒性の高い歌詞とメロディー。
特撮ヒーローも戦隊ものもロボアニメも、実際に観ていたもの以外は記憶に無い。当たり前か。しかし存在自体が認識できないというのは人間の脳の不思議。
小説を書いていると、人間の認識について考えることが多いです。
単にノートに書いているだけでなく、こうしてブログに発表したのは大正解でしたね。
アッキー
2010/04/07 00:21

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