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zoom RSS 3月11日 〜大震災より1年〜

<<   作成日時 : 2012/03/11 00:00   >>

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早いもので、あれから1年である。当時の記事を読み返すと、自分がパニックになっていたのがわかる。
今では当然パニックも収まっているが、悪い意味で慣れてしまっている側面も抱えている。
このまま、時が経てば忘れていくのだろうか? そう思ったとき、1995年のことが頭に浮かんできた。


1995年について、私は大きく2つのことを思い浮かべる。
その1つが、阪神・淡路の大震災だ。今現在、この地震のことを、どれだけの人が覚えているだろうか。
少し前に、福島から関西へ避難してきた人が、95年の震災経験者に親身になってもらえたという温かいニュースを聞いたが、それまで私は95年の震災を記憶の片隅に追いやってしまっていた。

95年の被災者の中には、未だに生活が安定していない人もいるという話を聞いたことがある。しかし私は最近まで、そのことも忘れていた。
だからといって自分が薄情な人間だとは思わない。意識の高い人々を除けば、あの地震のことが常に頭にある人間は、被災者と、その関係者くらいだろう。


もう1つ1995年で思い出すのは、“戦後50年”ということだ。
8月15日、反戦平和を訴える企画で、私は熱心に街頭演説を行っていた。しかし反応は乏しく、このときほど反戦平和活動に虚しさを感じたことはなかった。
熱心に演説を行う私の姿は、後から思えば仲間内の中でも浮いていたように思う。

90年代というのは、ロスト・ジェネレーションと言われている。
何をやっても上手くいかず、手ごたえの無い時代。その時間が無駄に失われたような空虚な時代だった。
時代の波風に翻弄された仲間たちは、新参の私にはわからない絶望感を何度も味わってきたのだった。
移り変わる時代の中で、過去のことを論じている余裕も失われていった。


これら2つから、“風化”というキーワードが出てくる。
1年前の地震も、やがて戦争や95年震災のように、忘れ去られていくのだろうか?
私も久々に思いを巡らすまで忘れていたし、思い出したからといって何かを行うわけでもない。考えていることを、こうして文章に書きとめておくことしか出来ない。

風化し、忘れ去られていくこと自体は、決して悪いことではないと思う。
しかし、問題が解決しないまま忘れ去られるのは恐ろしいことだ。
世の中には、単に忘れることで解決する問題も多いが、戦争や震災はそうではない。十分な保障を行った上で、今後どうするかを考えていかなくてはならない。

支援なら庶民でも出来るが、十分な保障はカネや権力を持っている人間しか出来ない。
かといって、金持ちや権力者に懇願したところで、良くても雀の涙ほどのカネが出る程度だろう。
懇願するのではなく、カネを出すように圧力をかけるのが正しい。お願いするのではなく、命令するのだ。
といっても、言葉だけで命令しても無視されるだけだ。言葉は、権力に対抗する“力”を集める。それがかける圧力が為政者への“命令”なのだ。

私の言葉が僅かでも“力”を集めることが出来ていたら、とても嬉しい。




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