佐久間闇子と奇妙な世界

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zoom RSS 心はどこにあるの?

<<   作成日時 : 2013/12/07 00:10   >>

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雨が降ると死にたくなる。割とマジで。
そういうとき、自分の心は天候の奴隷かと、忌々しく思う。

低気圧や気温の変化だけではない。様々な要素が気分に影響を与え、それは人格にすら影響を及ぼす。
似たようなことに対しても、そのときの気分で態度が違うし、それが後々まで尾を引いてしまう。何年でも。
それは私が精神病であるから、というだけではないだろう。

心は脳にあるというのが現代の常識で、私もそれに異を唱えるところではない。
しかし最新の脳科学では、脳というのは正確には、高度なフィードバック機能であるということだ。


脳が大きいほど知能が高いとは限らない。イルカやクジラの脳は人間より大きい。
体重に対する体積比でも質量比でもない。痩せてるから賢いということはない。

同じ生物なら、脳が大きいほど・皺が多いほど、知能が高いと言われているが、それもハッキリしない。
統計的な傾向は、男性の方が脳が大きく、女性の方が皺が多いそうだが、それが何を意味するのかは、諸説あれど明確ではない。


人類が他の生物と質的に異なる知能を得た理由に、直立二足歩行を挙げる説が有力である。
すなわち、自由になった手を使って、それまでとは異なる複雑な指運動(普段の食事や何やらで、いかに人間の指が複雑に動いているか!)をするようになったことで、脳が活性化されたというのだ。

確かに猿人はチンパンジーと、脳のサイズでは殆ど変わらない。原人でも大差ない。
まず手が発達して、それに伴って脳が発達していったようだ。
あるいは脳が大きくなったのは単純に、直立二足歩行で頭の骨格が変化し、容積が変化しただけかもしれない。

余談だが、チンパンジーは“つかむ”という動作は出来ても、“つまむ”という動作は殆ど出来ない。
工芸の例を挙げるまでもなく、人間の指というのは他の生物に比べて恐ろしいほど器用に出来ているのだ。


脳のフィードバック機能が高度なのは、身体的ないしは精神的な欠損を、かなりな程度まで補うことが出来る点を、ひとつの理由として挙げられるだろう。
受け取るだけの感覚器官と異なる、フィードバックであることで、あたかも欠損部分を存在するかのように振舞うことが出来るのだ。

視覚を遮られたら聴覚や触覚が鋭くなるが、視力が最初から無いか失ってる場合、そのレベルに留まらない。聴覚と触角に、嗅覚も加えているのか、あたかも視えているように振舞える。
もちろん不便や危険は多く、駅のホームから転落するなどの事故は絶えないが、それは実社会が「目が見える人の基準」で作られているからというのが大きい。

以前に聴覚障害者へ向けた演劇を観に行ったことがあったが、何とも不思議な世界だった。今までに観た演劇と全く違う、新しい世界だった。
人間は個々で世界に対する認識が違うが、おそらく知覚からして異なる世界だった。ワクワクした。
単純に“足りない”のではなく、異なる知覚、そして認識を形成しているのだ。


ところが高度なフィードバック機能であるがゆえに、脳は時として不適切な作用を及ぼす。
そのひとつが、ファントムペイン。無くなった手足に、痛みを感じるというものだ。事故などで失ったときの痛みだけが脳に記憶され、存在しないはずの部位が痛む。恐ろしいことだ。

欠損を補う機能は、良し悪しに関係なくはたらくので、痛みすら補ってしまう。
確かに痛みは生命管理に関する重要な機能ではあるが、それが狂うと苦痛で命を縮める結果となる。

高度だというのは、鋭敏ということでもある。
気温や気圧の変化を敏感にキャッチすれば、いとも容易く不調に陥る。
携帯電話の電波すらキャッチして頭痛に陥るという人もいるくらいだ。

鋭敏であっても不適切な作用をもたらす脳は、あまり良い脳とは言えない。
その良し悪しは、時代や環境によって評価の変わるものであるが、ある条件のもとで決めることは可能だ。


脳がフィードバック機能であれば、「こころ」はどこにあるのだろうか?

“こころ”と聞いて、当てはまる文字は、心臓の心だ。
心臓の鼓動を上げれば、気分も変わる。吊り橋効果を例に出すまでもなく、心臓が「こころ」に重大な影響を与えているのは間違いないだろう。

“はらわた”、すなわち小腸と大腸を「こころ」とする文化もある。
科学が発達してない頃のことではあるが、意外と的を射ていたのではないかと思わせる。
便秘や下痢のときは、気分も不安定にならないだろうか。

腸を健康に保つことが出来れば、精神的に安定するということを、昔の人は経験的に知っていたに違いない。
そして現在では、それが脳科学その他で証明されつつあるのだ。

“きも”というのは、肝臓の肝だ。これを人間の中枢とする文化もあった。
確かに腹を開いてみれば、ぴちぴちした肝臓が目に飛び込んでくる。心臓は意外と小さい。
肝臓が人体で果たしている役割の重要さは言うまでもないが、代表的な役割を挙げるとすれば、血糖値の操作だろう。これが出来なければ、継続的に複雑な思考を行うことなど、とても不可能だ。

内臓だけに留まらない。指の発達が知能の発達と関係しているというのは、何も人類進化の過程だけではない。
指を動かす作業(文章を書く、計算をする、など)をすれば、それを脳は受け取って成長する。

このように考えていくと、人体の全ての箇所が「こころ」と結びついているという話になってくる。
当然その度合いや優先順位には差があるわけだが、どの部分も無関係ではない。

どうやら「こころ」というのは、人間の肉体の総体として、その時間的な流れの中に存在するようである。

これは唯物論的な思考でもあるのだが、更に言えば、着ている服や周辺の事物までも「こころ」の一部として認識する機能が、脳にはあるようだ。
それは、服を着ているときと脱いでるときでの気分の違いや、歩いてるときと乗り物に乗っているときの気分の違いを比べてみれば理解しやすい。


「こころ」とは何なのか。どこまでが「自分」なのか。
科学は、それに対して答を出そうとしている。

自殺した人の脳だけを培養していたら、衰弱して死んでしまったというSFがあるが、脳だけでは「こころ」は作れないし、脳だけが「自分」でもないようなのだ。

結論としては、昔から言われているように「健康が大事」ということなのだが、それを科学的に分析し証明することが大事で、必要なことである。
何を以って健康とするか、その具体的な内実を、どう捉え、そして確保するのか。そこまで出来て、ようやくタイトルの疑問に答が出せるのだろう。


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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
心はどこにあるのか。興味深いテーマです。よく手足などは脳の命令で動くと言います。しかし条件反射などはどうなのでしょうか。
ボクサーも瞬時に脳の命令で手足が動いているのか。それとも条件反射は別なのか。
心が命令して動いているというのは、要するに意識して動かしているということで。
そうなると、心が脳に命令して、脳が手足に命令というのはあり得ないので、脳と心というのは同じなのか、違うのか・・・。
あともう一つ、心と同じで目に見えないけど確かに実在するものがあります。ちなみに脳は目に見えるものですが。
心と同じように目に見えないけど確かに実在するのは生命です。
生命のない人はいません。やはりその人の胸中に確かに実在する生命がすべてを突き動かしているのか。
天候に左右され、人の言葉に揺れる心は完璧とは言えない。すべての細胞も含めて動かしているのは生命。そう考えると、生命と心もまた別なのか。
ブラックホーク
2013/12/07 00:47
私のイメージですが、心が首相だとしたら、生命は大統領か帝。そんな感じです。
なるほど、裸のときと、服を着ているときと、微妙に気持ちは違うかもしれません。
気持ち、心は、強くなったり、弱くなったり、良くなったり、悪くなったり、変わります。
変わらないのが生命かもしれない。生命がどれほどの力を持っているのか。智慧の宝庫なのか。未だに解明されていないし、科学で解明できるようなものではないと思っています。
心とは、紛れもなく自分のものだけど、生命はもっと違う何か。大宇宙とも連動し、過去・現在・未来の三世を達観している存在。もっと言うならば、137億年前からの出来事が全部インプットされている究極の実在?
そう考えたほうがロマンが広がるので、私は生命の偉大さをそのように確信しています。
もちろんその力の7%から8%くらいしか発揮できないのも人間。おそらく100%発揮できない装置があるのではと思います。危険なので。
でも一回聴いた曲を即ピアノで演奏できてしまう人や、何桁でも暗算してしまう人の脳は科学的常識を打ち破っています。
答えは出ない。しかし考えることは面白い。こういう探究は楽しい。話は尽きません。
ブラックホーク
2013/12/07 01:01
>ブラックホークさん
脳科学の分野で、興味深い話を聞いたことがあります。反射的な行動だけでなく、意識して行う行動まで、意思の前に肉体が動き出す準備が整えられているというのです。言わば、常に未来を含んだ形で機能しているということになります。
意思が先にあって肉体が動くのではないのか?と、なかなか受け入れがたい話ですが、一方で納得することもありました。未来を先取りして動いているからこそ、リズミカルに行動できるのだと思います。全ての行動に意思を待たねばならないとしたら、ぎくしゃくした動きになってしまうのでしょう。
生命というのも、また不思議ですね。構成する物質は同じでも、生きている体と死体では、決定的な差がある。死んだばかりで温かさが残っている死体でも、生きているわけではない。断絶がある。
宗教的な意味での魂が科学で否定されて久しいですが、では科学は生命や魂というものを、どのように捉え考えるのか。実は宗教的・哲学的な魂の概念は、決して否定されるべきものではなく、科学によって、より精密に刷新されるものではないか。それが現在の脳科学が辿り着きつつある考え方だと思います。
アッキー
2013/12/07 21:21
天候その他によって気分は変わっても、確かに生命の有無は変わらない。私は生命を考えるときに、連続性を意識しています。ずっと続いている、過去から現在まで繋がっている自分であること、それが自分が生きている実感を支えています。
もしも自分と外見から内面まで全く同じ人間が構成されて、今ここにいる自分が粉々になったとしたら、それは連続していない。人から見たら同じでも、自分にとっては死以外の何物でもない。
生命は世界と連動して存在してるし、人間の気持ちとしても、世界と自分が関係していないことに不安を覚える。上手く出来ていると思います。世界と繋がろうとする思いが、真理を追究する方向と合致している。遥かな昔から、生命は真理へ向かうように設計されているという考え方があり、それは私の実感と合っています。混沌になるべく設計されていると同時に、数え切れない豊かなバリエーションをも作っている。素粒子の種類の少なさを思うと、この世界の複雑さは奇跡的です。
これから先、人間の力は更に発揮されていくと思うと、ロマンが広がります。100パーセント発揮できないからこそ、まだ成長する余地があり、考えることも尽きなくて面白いですね。
アッキー
2013/12/07 21:21

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