佐久間闇子と奇妙な世界

アクセスカウンタ

zoom RSS ねじまきカギュー最終巻! 〜死を想って生きる〜

<<   作成日時 : 2014/07/21 00:00   >>

面白い ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

読むとき、ずっしりと重かった。傑作のラストを読むときは、心に心地良い重みを感じるものだ。
「本の重さが好き」という意見と通じるものがあるのかもしれない。




※これまでの感想
1、2巻 (初期パート〜風紀編)
3〜5巻 (風紀編決着、夏休み編〜修行・告白編)
6巻 (生徒会編・アンチキャライズム)
7巻 (生徒会編・野外戦@)
8巻 (生徒会編・野外戦A)
9、10巻 (生徒会編・パブリックビューイング)
11巻 (生徒会編決着、選挙編)
12巻 (選挙編〜過去編)
13巻 (赤ヶ島編@)
14巻 (赤ヶ島編A)
15巻 (赤ヶ島編決着〜葬儀編)




◎第百四十九話 VS葱沢理事長

何この溢れ出る胡散臭さwwwwwww
えー、あれか、人は権力を持つとこうなるってやつなのか?
まあ実際は、カモ先生が自分の命を諦めていることが、情熱の希薄さとして滲み出ているのだろうけど。

カギューさんが動揺するのは当然として、衿沙たちも蒼白。
あんな父親とはいえ、その死を知らずにいるというのは切ないものがある・・・。

「あきらめろ」「もうさよならなんだ」が、心理的にクる。
なまじ戦闘力が高い敵よりも、空恐ろしいものがある。
心理的に揺らされるのは、紛れもなく我々の日常でもあるのだから。
やっぱりカモ先生がラスボスだ。

以前のカギューちゃんなら、ここで心が折れていた。風紀編では実際そうだった。
しかし今の彼女は折れない。諦めない。柔らかく大きくなったから、曲げられても立ち直る。
両脚で発条拳とかパネェ。足でZZ拳を撃てるガガリに勝ったから当然か。




◎第百五十話 VS愛莉州(再戦・前編)

嫌あああああ表紙こぁいいいいいい!!
でもエロくてイイよおおおおおお!! もっと泣いてイイよおおおおお!!(ダヴィンチ風に叫ぶ)

池でプカプカ浮いてる鳥類wwwwwwwwwwどこまで自キャラをおちょくる気ですか中山先生wwwwwwwww
そして織筆さんwww大丈夫ですかwwwちゃんと睡眠は取ってwwwww
しかし、いよいよカギューさんたちの話に収束してきた。
今まで大勢を巻き込んでいってたのが、絞り込まれていく。マジ螺旋。遠心力から求心力へ。

後姿を見た時点で、もしやと思ったが、案の定・・・愛莉州さん、愛莉州じゃないですか!?
随分とカッコよくなってしまって・・・そして顔芸キタコレ!! おおおおおお!!
事情を知らない子供たちからしたら、この変貌は頭が追いつかないのも当然ですねぇええ。

ただひとりカギューさんは流石の冷静さ。恐れ知らず。諦めないというのは、こういうことだ!
熱くなるだけが情熱じゃない。熱くなった相手に対して揺るぎない態度を取れるのも、また情熱。




◎第百五十一話 VS愛莉州(再戦・後編)

しかし愛莉州つぇえ! マジ強ぇ!
風紀編で既に化物じみた強さを披露してたわけだけど、絶望で更にパワーアップしているという。カミーユさんを超えてますよ・・・。
カミーユさんは自分の計画がパーになったけれど、愛する人を失ったわけではないもんなぁ。
そして“冷たいマグマ”の言葉通り、極めて冷静に衿沙のヒュプノボイスに対抗しておられる・・・!

とはいえ流石の元会長、すぐに切り替えて3人をパワーアップ・・・うん、3人?
織筆さんは途中で倒れてしまっていたのか・・・と思いきや、すぐに復活していた。

カギューが愛莉州に敬称を付けるのに驚かれているが、むしろ私は衿沙が愛莉州に敬称つけたのが割と驚きだったりする。いや、確かに前からさん付けだったけど、ニュアンスが全然違うというか。改心したからか。

マグマに対抗できるのは、同じだけの熱量を持つ者。
絶望の痛みに、カギューさんの希望も負けていない。

そんな彼女たちに、ついに3ヶ月前のことが語られる・・・。
カギュー、紫乃にとってもショッキングなことだろうけど、衿沙にとっては猶更では。
自分をタワーから捨てた父親とはいえ、自分に無関心だった父親とはいえ、これは・・・きつい・・・。
こんな可愛い娘がいるのに自殺なんかしやがって! パパンのバーカバーカ! あほー!

それにしても愛莉州さん、眼鏡を取ったら割と童顔ですね。そりゃそうか。高校生の妹がいるわけだから、30歳になってない可能性すらある。
というか普通に美人という。

そんな感じでカモ先生捜索パーティーが組まれた次の瞬間、真の絶望が歩いてきたああああああ!!!
嫌ああああああああ!! 何これ恐いいいいい!!
最終巻にして最強の敵とか、もうアップアップですわよ!




◎第百五十二話 VS森先生(前哨戦)

愛莉州さんが素敵すぎると思った次の瞬間、森先生に記憶を吹っ飛ばされていた。
何を言ってるかわからないと思うが、私も何が何だかわからねぇ・・・。
こいつの強さは次元が違う。ウルカイシとスィーモも瞬殺だったし。
今からして思えば、第二十五話のセリフは一周回って素人と同じ意見のように見えていただけだったのだなぁ。
これまで怪物系というか化物じみた人はたくさん出てきたけど、森先生は言うなれば魔物。
そんな魔物相手に、怯まず動くカギューさん凄ぇ。相手が誰であろうが怯まない覚悟。

何しろカギューさんと会わない限り、カモ先生は永久に絶望の中。
カモ先生は潔癖すぎるんだけど、しかし彼が自分を許しちゃったら堕落への道でもあるのが難しい。
自分で自分を許せないし、誰かに許してもらうことも期待したくない。仕方ないね、潔癖だから。私もね。
潔癖な人格には2種類あって、ひとつは自分が清らかだから汚れてるのが許せないという。
もうひとつは、自分が汚れてしまったら、言い訳したくない。責任転嫁とか甘えたようなこととか、他者が行うのはまだしも、自分が行うのが苦痛で仕方ない。無条件に優しくされたり愛されるのが不安で息苦しい。

なんてことを考えながらダウナーになっていたら、森先生wwwwwwちょwwwwwwwwwwwwww
カモ先生のこと好きやったんや!? からかってたわけじゃなかったんや!
・・・まあ、当然これも納得である。二千恵パパンよりは意外じゃない。
第九十一話を読むまではカギューたん悲恋エンドも考えていて、カモ先生は森先生と結婚すると思ってました。
あのときの結婚相手も微妙に森先生に似てるな、そう言えば・・・。
言葉は同じだけど、全く真逆の別物か・・・。わかる気がする。たぶん私は森先生の側なんだろうけど。




◎第百五十三話 VS森先生(前編)

先輩たちが卒業していき、そして自分たちの番・・・。
富江と朱羽、お前ら仲良いなwwwwwwwいやマジでwwwwwww
私の体験上ね、本当に嫌な相手なら、そいつがどこ行くか調べるもんだよ。
中学時代、何人かから「どこの部活に入るのか」と訊かれて、答えたら「えー、やめときなよ」「考え直せば?」と、まるで親切で言ってるかのような言い方をするものだから、腹が立って仕方なかった。
高校受験を考えるとき、父親に勧められた学校は嫌な奴が進学するという話を耳にしたので、死んでも行きたくなかった。同じ高校を受験した中にも嫌な奴はいたが、私だけが受かった。ざまぁ。
本気で落ちて欲しいと思ってるなら、面と向かって言わない。そんなことで落ちないから。

エグさんは警察官。何だか段々とスラッとした体型になってきてないですか。どうしたんですか。
きっと警官になるにあたって、体を鍛えてるんだろうなぁ。舎弟、ビリーっていうのか。(読み返したら既出だった)
進路が警察や自衛隊とか聞くと、私あまりイイ顔しないことが多いんですが、最近はそうでもなくなってきた・・・。
どこへ就職しようが、結局は人間関係の丁寧さが問題だという。たぶん大西巨人の影響。
振り返ってみれば、確かに警察から酷い目に遭ったことはあるけど、教師からも酷い目に遭ってきたし。
日教組のスローガンだったか、「教え子を再び戦場に送るな」という文言は、死んでます。

中村窈は順調に美大に進む模様。私は絵心が無いので、絵の描ける人の感覚とか悩みとかわからないみたいなんですが、素直に応援したい気持ちはある。伝わらないことが多いけど。
やっぱダヴィンチとは別人としか思えない。あれが未来の中村くんだとか思いたくないよ。
マブルゥ姐さんが来ているのは、十兵衛ちゃんのことだけでなく、中村くんのことも意識してればオイシイ。
カモ先生の隙が見つからないからカギューちゃんのことを諦めるのではなく、マブルゥ姐さんに惹かれることで自然と失恋を消化し昇華できてたらイイなぁと。

そして、いよいよカモ先生との対決。そう、これは対決なのだ、決戦なのだ!
カモ先生は、愛することを恐れているのではなく、愛されることを恐れているんだろうと思ったり。
作家仲間に、「自分みたいなファッキン野郎には“承認されないこと”こそ相応しいよな!」と言う人がいて、近い雰囲気を感じます。
私は「姫君の条件」のアーロン殿下と似ていて、無償の愛情が鬱陶しい。対価なしの利益は嫌悪すら感じる。
これは先述の潔癖さの顕れというよりは、道理に合わないものへの嫌悪感なんだろうなぁ。
社会の矛盾軋轢を食らった分だけ、社会からカネを受け取るのは当然だと考えてるわけだし、別に利得に対して青臭い感傷があるわけじゃないんだ。

森先生はマジで空気が読める人。対決を妨害することなく、しかし良いタイミングで出てくるわ・・・。
ヨダレが止まらない。「最底辺の男」に出てくる変態少女より遥かにヤバい空気です、森先生!
喰う気だ、空気を読むとか読まないとかいう以前に、二千恵理事長みたいな匂いを感じるよ!




◎第百五十四話 VS森先生(中編)

森先生が好きすぎて困る。もう魔物でしかない。最初から既におかしい。最後にして最大の恐怖と絶望。分裂してるように見えるのは、マンガ表現上の話ですよね?
トキシシロップとか、今まで出てきた面々の中でも、最も人間離れしてるように思える。
あのヨダレは伊達じゃなかったんや・・・。記憶を消す毒を作ることも出来るわけだ・・・。

12巻の感想で冗談めかして森めめんととか書いたけど、森めめとか、マジでメメント・モリかよ!?
カバー折り返しのシリーズが、ここに繋がっているという・・・! なんという・・・なんという・・・!
いやもう、二千恵パパンとの対決を経たときは、後はカモ先生とカギューちゃんの対決を残すのみだと思っていただけに、ガツンとやられたよなぁ・・・これ・・・・。

“完全な障害”こと、森めめ。またしてもダヴィンチを思い出したのは私だけではないはず。
ダヴィンチは愛する人との死別から、ああした悟りへ辿り着いたのだと思われるが、ある意味で森めめはダヴィンチよりも異常だ。大好きだよ!
愛する人との死別は避けられない。それを彼女は、歪みなく受け入れる。
そのあたりがカギューさんをして「お前からは何も感じない!!!」と言わせしめる理由なのだろう。
愛する人を失って歪むのは、ある意味で正常とも言える。ヘリウス・ヴォルグや仙水忍が“普通の人間”であるように、状況に対して正常な反応をするのは、結果として狂人になっても、その過程は正常だ。
愛する人を失ったとき、狂乱するのと割り切ってしまうのと、果たしてどちらが“正常な反応”だろうか?
万能感は安心院なじみを、完全イコール完了は天馬月行を、愛の享楽性は外印を思わせる。
そして個性を求める点では、忘れるはずもない二千恵理人。同じ虚無でも真逆だ。
二千恵理人が愛に飢えた砂漠だとすれば、森めめは底の見えない水溜りだ。ヤチマナコのような恐怖感。

それにしても毒蜜はエロいなぁ・・・。「ダメ? 私の愛じゃ。」とかテラ素敵。
愛する人が望むなら自殺も叶えるというけれど、ありゃあ多分、半分は嘘だ。
自分の手で愛する人を殺したいと思ってるよ、この人。やっぱダヴィンチと同じ種類だ!
その気持ち、わかってしまう。森めめには親近感と憧れを覚える。
カギューさんとかは私からすると遠すぎて理解しにくい。応援したい人と、親近感を覚える人は、違うんだなぁ。

もうね、カモ先生が死んでしまうラストかと思ったよね。
「トラウマイスタ」のトラウマが抜けてないんだよね。
スジャータさん・・・。




◎第百五十五話 VS森先生(後編)

鉤生十兵衛、復活!!!
恒例のプラシーボ効果だよ!!
遺伝子レベルどころか分子レベルで神秘の効果がはたらき、新生どころか神聖と言っていいんじゃないかな!

森先生が嬉しそうで何よりです。
というかこれ、髪の毛から毒の霧を放っているのか?

ああ、もう、言うことは何も無いよ・・・・・・。
この戦いを見守ろう・・・・・・・・・・・・




◎第百五十六話 VS死(前編)

葱沢鴨という人物は、やはり虚無的なのかもしれない。
からっぽだからこそ、水が低い方へ流れるが如く、彼に向かって愛が流れ込んでいく。
実際は二千恵理人にも、小島風蘭がいた。誰もいなかったわけじゃない。
けれど、両親を失った葱沢鴨には鉤生十兵衛が現れ、小島風蘭を失った二千恵理人には父親からの疑いの眼が向けられた。衿沙がいるとはいえ、そのときはまだ赤子だ。思い出など何ひとつ無い。代わりにはなれない。
どこが分水嶺だったか、はっきりさせなくてもいい気がする。確かなことは、葱沢鴨の周りに集まった人と、二千恵理人の周りに集まった人は、異質であったということだ。
そしてもうひとつ、二千恵理人は決して不幸ではなかったと思う。愛を知らず、愛を自覚して死ぬのは、とても悲しいことだが、しかし不幸ではない。幸せな最後だったと思う。

だからこそラストシーンでカモ先生が笑ったとき、ああ、幸せな最後だなぁと思ったんだよ!
愛する人に看取られながら逝くなんて最高じゃないかと思うんだ。混じりっ気なしの、純粋な悲しみと虚無感。
それって幸せなことなんじゃないか? 別れたくないと思いながら別れるのが最高なんじゃないか?
普段から割と本気でそう思ってる私なので、かなりシンクロしてる。やばい。




◎第百五十七話 VS死(後編)

あああああ、カモ兄ちゃんを前にして、叫ぶ前に微かに笑う、それが萌え死ぬあああああああああ!!!!
たまんねぇな、この臨場感・・・! えへっと笑ってしまう、それね! これね!
わかるわかるわかるわかるわかるわかるわかるわかるわかるわかるわかるわかるわかるわかるわかるわかる
いいいいいよおおおおおお!! もっと狂っていいよおおおおおお!!!(ダヴィンチ風に)

(落ち着こう)

すーはーすーはー、これで終わるのも美しかったが、何やら森めめが渡したものが・・・?

最後の一撃がヤチマナコを横にしたみたいにダイナミック!
森めめwwwwwwwwwやべぇwwwwwwwwwww
いやもう一瞬、スライムになったのかと思ったよwwwwwwww
そのヨダレ、ちょっと記念に採取していいですか。いいですね。(そして瘴気にあてられて痺れ死ぬ運命)

劇薬は効果は大きいけれど、副作用も大きい。
けれど、もはや恐れることはない。
「どこだってかまわない」というカギューさんのセリフが心境にシンクロする・・・。
ここまで来たら、死エンドでも復活でも、どちらでも構わないよ。美しいよ。
死ぬことを礼賛してるわけではなくて、こんな最後なら悪くないと思うんだ。




◎最終話 VS生

ホント最後まで生存を明かさないよね!
この幼稚園、「あったかもしれない過去、あるいはパラレル、あるいは今際の際に見た光景」と思ってたよ私!

それぞれの子供らしき面々がいて、最終話にして色々と妄想が掻き立てられる。

富江と朱羽は、それぞれの子供が親の趣味を交換したみたいになってるという。お互いに相手のことをよく子供に話してるんだろうな。いや、更に、運命に導かれし2人だから、家族ぐるみで付き合いがあるんじゃね?
親に対する反発心とか色々あるとオイシイ。

衿沙、亜鳥、貞鳥は、それぞれミニチュア化したような子供たち。ネットマニアか。
二千恵パパンが、クローンの2人は短命みたいなことを言ってたけど、実際どうなんだろうね?
だって「トラウマイスタ」で二千恵パパンのクローン余裕で長生きしてるし・・・。これが希望だ。

マブルゥ姐さんの子供は、絵を描いてるってことは、やっぱり中村くんとですよね? ですよね!
嬉しいなあ・・・。まさか作中で2人の行く末が明かされるとは。
2巻の巻末で保健体育の話があるけれど、あ、はい、マブルゥ姐さんに殺されるで詳しくは言いません。

他にもどこかで見たような面々が・・・。エグさんの子供がマジ可愛いじゃないですか。

紫乃と織筆の登場で、ようやくこれが未来の現実だと判明する。

カモ先生とカギューさんの子供は、人の手を絡める技術を持つ、パンツ丸出しの男の子。いやあ、濃いなwww
緋村剣路でさえ幼児期はノーマルなのに、この子ときたら・・・。最終話にして落ち着く気配が無い。

ちなみに、みんなで手を繋いで地球を巻こうという発想は、マジョリティーの傲慢とかではない。
計算すればわかるが、手を繋いで並ぶ場合、地球1周に必要な人数は世界人口の1パーセントにも満たない。
クラスに1人くらいは周囲と相容れない人がいるものだけど、その割合を当てはめれば地球を7週半できる。
私、こういう計算、スキ。
もちろん実際には海とかあるから不可能な話なんだけど、思考実験ね。私、思考実験、スキ。




◎第零話 VS母

謎に包まれた母親のエピソードが明らかに!(この話、けっこう前に掲載されてたんだなぁ)

厳しい中に優しさを秘めた人なんだろうと思っていたが・・・・・・・・・おww前wwもwwかwwwwwww
またしても予想を超えてくる罠wwwwwww

マブルゥ姐さんは母親似。間違いありません!




◎多分それは二千恵理人が今際の際に見た光景

真・エピローグ。
輪廻の輪から外れし者への罰あるいは褒美。

4日間くらい、ぶっ通しで歩いてきたのかなー。
肉抜きバーガーwwwww何故あるwwwwww
うーむ、「地獄に落ちろ」とか言われてるあたり、逆に考えれば、ここは地獄ではないことになる。
怨嗟の声に絡まれながらも平然とした顔でバーガー食ってるパパンが素敵です。結婚しよ。

グランマもいるし、やっぱ天国かな。
本当に天国というものがあるとすれば、自分の罪と無縁ではいられない場所だと思う。
どれほどの善行を積もうが、自分の罪を忘れて呑気に過ごせる場所を、果たして天国と呼ぶのだろうか?
そんなものは既に地上にあるし、それは他者に地獄を強いることでしか成立しないものだ。

人から虐げられたことなど1秒でも早く忘れたいし、自分の罪は償えるまで覚えておきたい。
パパンほどのことをしたら、罪を許されない方が幸せだと思うし、そう思える者にこそ天国は見えるのだろう。
そう考えると、平然としてるのではなく、安心してるのかもしれない。
死んだ程度で罪が許されるのなら、それほど酷いことはないのだから。

どんな罪も被害者の意図とは無縁に許されてしまうのが地獄で、決して許されないのが天国だ。
だからこそグランマも、許すのではなく愛するのだ。「いいのよ」という曖昧な言い方の中に優しさを感じる。
ただ許すだけの行為は無関心の成れの果てで、自然体で受け入れることこそが愛なのだね・・・。

そんなわけで、たいへん素晴らしいエピローグでした。
本編は王道のエピローグなんだけど、個人的にはこっちの方が好み。










<トラウマイスタとの繋がり考察>

まあ半分以上は私の妄想なんですが。
パパンのクローンが二千恵社長であると判明した今、色々と想像力が溢れる。



◎反魂香とは何か? アートマンとは何か?

オリジナル二千恵の死に対する、クローンとマルマンの考察からして、やはりアートマンが先にあるのだろう。
これは人間の魂の具現化とか、気とかスタンドとか、そういう類のものだと理解しておけばいい。

となると、反魂香は誰が作ったのだろう?
やはりチャンドラカンパニーが作ったと考えるのが自然だ。

オリジナルのツァラトゥストラが、アンコントローラブルながらも天然のアートマンだとすれば、反魂香によって生み出されたのは人工的なアートマン、アドバンストアートマンと言うべきものになる。
クローンのツァラトゥストラが素の戦闘力ゼロっぽいのは、他ならぬ自分への攻撃を防ぐ仕様だろうか。



◎ガガリとマルマン、どうなった?

反魂香の製作に、マルマンが携わっているのではないかと睨んでいる。
人の心の闇に入り込む香とか、いかにもマルマンの能力を思わせる。

では、マルマン自身はアートマンを持ってないのだろうか。そんなはずはないだろう。
とはいえアートマンの強さは本人の戦闘力とは無関係なので、マルマンのアートマンが強いとは限らない。
むしろ強いアートマンを具現化させられそうな人材を見つける為にこそ、マルマンの能力は発揮される。
それがチャンドラカンパニーに凶悪トラウマイスタが揃っている理由だろう。

ガガリはZZ拳を伝承する為に故郷へ戻ったのかなぁ・・・。
だとすると「トラウマイスタ」時代には生きていない可能性も高い。



◎ねじまきメンバーはトラウマイスタ時代どうしてる?

アートマン事件を知ったら黙っていないんじゃないだろうかと思ったけれど、よく考えたらアートマン事件が一般的に明るみに出されたのは最終決戦のときじゃないか。
クローン二千恵の存在は知ってるとしても、その目的までは知らない可能性が高い。

しかし、どこかの段階で気付いて暗躍していた可能性も高いと踏んでいる。
例えば、ルイやカミーユが色々やらかしたのを、パニックにならないように情報をシャットアウトするとかね。

残念ながら、生身でアートマンと戦うのは、女子力(物理)の高い面々といえども難しい。
ボワ・ド・ジャスティスくらいならまだしも、分別盛りクラスとなれば危険。
そして何よりダヴィンチのアートマンがヤバい。愛しのモナ子は勿論のこと、受胎告知も恐ろしい。スジャータ嬢いわく“7体の最強アートマン”の1つだけあって、使い方によってはモナリザ以上の危険度。
(例えば、「0.1秒後に病死」と予言して腹に入れるとか)



◎ダヴィンチは中村窈なのか?

もしも、マブルゥと娘を何らかの事故で失ってしまったとしたら、こうなる可能性は十分ある。
ダヴィンチのモナ子に対する愛情が、性愛的でありながらも父性的なのは、妻子の姿を映したからだとすれば、辻褄は合う。

しかし一方で、ダヴィンチのセリフには、森めめと同じく「何でも出来た人」の匂いもある。
中村窈はコンプレックスの塊で、そのあたりはダヴィンチのイメージと重ならない。
もちろん、彼はハイスペックだし、コンプレックスを乗り越えて万能感を得た可能性はあるのだが・・・しかしマブルゥ姐さんが付いているもとでは、変に調子に乗ることは考えにくい。

年齢に関しては何とも言えない。「トラウマイスタ」が「ねじまきカギュー」の何年後くらいなのかはわからない。
パパンは髭を剃ると若く見えるが、グランパの年齢から推測すると、実際そんなに歳いってないみたい。
となると、デジマ社長も意外と若いのかもしれない。逆に歳いってるかもしれない。
そしてダヴィンチともなれば、若さを保つアートマン(逆に老いさせることも出来る)とか持ってそう。
ダヴィンチのアートマンは、実は最後の晩餐1体のみであり、彼の言葉通り、望みを叶え続けるのだ・・・という説を、どこかで聞いたことがある。全てのアートマンが晩餐の分身だからこそ、愛しのモナ子も容易く食わせたと。
確かに最強クラスのトラウマを7つ抱えてるよりは、そっちの方が納得できそうだ。

果たしてダヴィンチは中村窈の未来の姿なのか?
あるいは息子や孫なのか?
本人というのは違和感があるが、他人というには共通点が多すぎる。
色々と不穏な世界だ、全てのキャラが子々孫々に至るまで末永く幸せに暮らすことは望めない。
ありえるかもしれない不幸、歪み。
そういったものを、どう受け止めればいいのだろう。

理不尽を無くしたいと思う気持ちに偽りは無い。
しかし、世界から全ての理不尽を無くすことは、可能か不可能かは別にしても、自分の思い描く幸せの中に人々を閉じ込めたいだけではないのか?
自分が思う幸せは、万人にとっての幸せではない。「せめて手を繋ぐくらいのことをしよう」(≒お互いに対話のベースを確立しよう)というくらいが丁度いいのだろう。
考えることが人間にとって最大の娯楽で権利であるならば、対話することは同じく最大の娯楽で義務である。
ニーチェの言葉を広く言えば、「愛とは、会話し続けられること」だ。
ハッピー“エンド”は幸福な死であり、多くの場合はハッピーコンティニュー・・・幸せの続く物語なのだ!




テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 5
面白い 面白い 面白い
驚いた
ナイス

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
ねじまきカギュー最終巻! 〜死を想って生きる〜 佐久間闇子と奇妙な世界/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる