佐久間闇子と奇妙な世界

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zoom RSS お亡くなりになりました

<<   作成日時 : 2015/11/03 00:05   >>

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※暗いです



だいぶ落ち着いてきたので、今のうちに思うことを書いておきます。

以前に選挙カーが騒音を撒き散らした頃から、聴覚過敏になっています。
それで赤ん坊の泣き声や、子供の騒ぎ声などで、激しく気分を害する日々でした。
インドア派ですし、なるべく外出を控え、家に籠もっているのですが、良くなりません。

両親と同居しているのですが、父親の生活音が気に障ります。
クシャミをしたり、咽を鳴らしたりする音が、うるさいのです。
そこで、場所と時間帯を決めて、その時間帯は私が他の場所(外とか)へ行くと決めました。

ところが、その約束は守られていません。
集中しているとき、したいときに、不意に聞こえてきて気分を害されます。
扉を開けっ放しで、音が聞こえてきたりもします。
それで私が苛立って、叫んだりすることが増えました。

気が滅入ってくるので、それを吹き飛ばそうと、空手の掛け声みたいに気合を入れてみました。
そうすると、父親から苦情を言われました。
凹みました。滅入りました。

不安障害が酷くなりました。
パニック発作も起こりかけました。死ぬかと思った。

そんな精神状態のまま過ごしていると、酷い悪夢を見ました。
うなされる声について、しつこく追求されました。
作業しているときに、また気分を害される物音が聞こえてきたので、扉を閉めようと立ったときでした。

それでいて本人は、「気をつけている」と言いました。
言った側から、しゃがれた音が聞こえてきました。
思わず苛立った声を発すると、父親がやって来ました。
「そんなことはしてない」「100パーセントしてない」と、しつこく念を押されました。

そのとき私は、「今のは幻聴なのか?」と、酷く恐ろしい気分になりました。
あるいは、記憶障害。
精神病院に入るしかないと思いました。

しかし妹の話によれば、私が聞いた音を妹も聞いていたようで、それで父親に言って、父親が私のところへ来たそうです。(しつこく念を押されたときです)
妹の話を聞いていなければ、きっと私は発狂していました。

父親は、自分が無意識で音を発していた可能性を全否定し、「またキチガイが幻聴を聞いたに違いない」と判断したわけです。
私が精神病者であるから、それで押し通せると踏んだわけです。卑劣です。

思えば、以前に私が訴えたときも、「病気のせいではないか」と言われ、自分でも「そうか」と思ってしまいました。
父親は「キチガイ」という言葉を平気で使いますが、精神病者を何だと思っているのか。

“100パーセント”やってないと言い張るのは、いったい何でしょうね。
まるで、慰安婦の事実を「無かった」と言い張る人々みたいだと感じました。
訴えを発する人々の人格を全否定し、「また嘘つきが、ありもしないデタラメを述べている」と判断する、そんな連中と同じものを感じました。

マルキストとして、死んでます。
お亡くなりになりました。


私は労働力として劣位にあります。
価値を生み出す者として、劣っています。
そのことが父親は我慢ならないようなのです。

精神を病んで休学したら、すぐに働き口を紹介されました。
嫌とは言えませんでした。言えるほどの元気はありませんでした。
しんどい毎日を送りました。生徒の名前も覚えられず、上司に叱られました。
その塾では、問題児専門の便利屋になりました。やがて仕事が来なくなりました。

父親は自分たちで塾を経営することを提案しました。
その準備で、だいぶ貯金を切り崩しました。
あんまり繁盛しないまま、今に至ります。

そこで稼ぐ額は微々たるもので、障碍者年金にも満たないです。
毎月そこから、家にカネを入れてます。
以前は稼ぐ額では間に合わず、年金から支払っていました。

カネを家に入れるようになってから、父親からの風当たりが弱くなりました。
人の心はカネで買えます。

同じ条件の住居を考えると、今の額で住まわせてもらえるのは魅力です。
これを手放したくありません。だから我慢します。

「役立たずのキチガイを住まわせてやってるんだから感謝しろ」

そう言われたら、返す言葉はありません。
事実だから、反論できません。

父親にしてみれば、時間と手間をかけて育ててきた子供が、精神を病んで価値が暴落したわけなので、がっかりするのも理解できます。

私が革命を志しているうちは、他では手に入りにくいような情報も教えてくれました。
しかし私が革命への情熱を失ってからは、そんな奴に与える情報は無いとばかりに、音沙汰なしです。

思えば父親は、絶えず私の裏切りを恐れていました。
私が体制側へ転向することを恐れていました。
重要な情報は与えず、それで私が痛い目を見ても、組織を優先していました。

口では私の価値を認めてるみたいなことを言ってますが、よく聞けば、「自分には理解できないけど、自分に理解できるものだけが全てとは思ってない」と、要するに私の書いてるものには興味ないみたいです。

私が最も力を入れている部分に、価値を認めてない。
創作を除けば、労働力として劣位で、革命戦力として役に立たない、ノイローゼの精神病者が残ります。
私の創作活動に“具体的な”興味を持たない人が、私を低く評価するのは、当然のことですね。


父親の思想が、いつから衰退したのかは、よくわかりません。
おそらく、徐々に徐々に駄目になっていったのだと思っています。
思想の衰退と、私の失望とが、互いにフィードバックし合ったような気がします。
いつもの私のパターンですが、決定的な破綻を迎えてから、ようやく気付くのです。

子供の頃、両親の全てを継承したいと思っていました。
もちろん記憶まで継承できるはずもないですが、20歳までには思想の大枠を受け継ごうと考えていました。
自分で自分の使命を選択することは、とても自由で素晴らしい気持ちでした。

ゆえに、衰退した思想に魅力は感じません。
父親が衰退する前に、その全てを受け継ぎきれなかったのは残念ですが、そこは父親も同じ気持ちでしょう。


ひとりのマルクス主義者が、お亡くなりになりました。
死人より、心からお悔やみ申し上げます。


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