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zoom RSS 東日本大震災より5年

<<   作成日時 : 2016/03/12 00:05   >>

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被災者が自殺するのも被災に入る。

あれから5年になるというのに、復興どころか復旧もままならない状況が続いている。
以前あったものが失われ、その代替が得られてないというのは、苦しいことだ。
その苦しみの中で死を選ぶのは、客観的状況に強制された結果であり、無責任なものではない。

これまで、自殺イコール悪という価値観や、身勝手な自殺者がセンセーショナルに報じられてきたことなどで、
自殺に関するイメージは偏ってしまっている。
いわゆる“集団自決”なども、強制的に迫られて“自殺”させられた人が大勢いる。学校での“自殺”も然りだ。
直接的なプロセスとして「自殺」であっても、実質的に「他殺」であるケースは、山ほどある。

被災者の“自殺”も、私は“他殺”だと考えている。
同意を求めるものではなく、単なるスタンスの問題だが、苦しい状況を強いたことは“加害”である。
地震は天災であっても、原発事故と、復旧の遅れ、補償の不備は、人災だ。


災害の記憶が薄れていくのは、悪いことではない。
しかし、被災者が和らがない状況で、それ以外の人々が忘れていくのは、明確な悪である。
仕方ないことだと諦める感情もあるが、だからといって「誰も悪くない」ことにはならない。

悪い記憶は、何年も経ってから急に、止め処も無く溢れ出してくることがある。
私も高校時代の3年間は平気だったのが、急に小中学校時代の嫌な記憶が溢れ出して、病気になった。
心の病気にも潜伏期間は存在している。いつ発症するかわからない。

次から次へと嫌なことが出てくる環境で、悪い記憶が薄まることはない。
むしろ現在の様々なストレスを増幅し、それが新たな桎梏となって心を蝕んでいく。
震災そのものの記憶が薄れたとしても、被災してから新たに受けた苦痛が濃く残っているのでは、同じことだ。
個人的には、よりいっそう酷いと考えている。


みんな揃って嫌なことを忘れていけば、それは良いことだ。
しかし、被害を受けた者が苦しみ続けているのに、それ以外が忘れていくのは、恐ろしい。
揃って覚えているのなら、そこに苦痛はあっても乖離は少ない。
苦痛を理解されないことや、忘れられていくことは、より大きな苦痛をもたらす。

言われなくても思い出すのは難しいが、言われたときくらい思い出して、こうしたことを発信していきたいものだ。


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内 容 ニックネーム/日時
5年前はブログが書けませんでした。
何を書いても違う気がして、書けなかった。
しかし、あの日を境に全く書かなくなると、関東だし「まさか何かあったのか?」と心配される可能性があることに気づき、生きていることを伝えるために書いた記憶があります。
当時は、テレビに赤い字が出ただけで「え? また緊急地震速報か!」と身構えたり、家が少しきしむだけで身構えたり、恐怖に支配されていました。
東北はもちろん甚大な被害ですか、地震恐怖症という、揺れていないのに揺れていると感じる一種の心のダメージというのは、関東の人間も相当なもので。
これをどうにか克服しないと心が危ないと思って、そこで『犬夜叉』をヒントに。
あの頃の余震は怪獣が牙を剥いて命を奪いに来る激しさに感じたので。かごめは突如妖怪が現れても恐れることなく臨戦態勢に入る。
これだ、これしかないと思い、余震のたびに臨戦態勢に入り、心へのダメージを吸収。
死の恐怖を感じたあの日、風化や薄れるという感覚とは全く無縁です。
学者が30年以内にどうのと何と言おうが二度とあんな悲劇を起こしてはいけない。
1000年に1度と言うのだから、1000年はいらない、あんな経験は。
あんな恐怖はいらないです。


 
ブラックホーク
2016/03/12 16:49
>ブラックホークさん
5年前から、よく「もしかしたら二度と会えないかも」と考えることが多くなりました。自分の人格が変わったとは思えないのですが、明らかに考え方が変わっています。
あのときは本当に、発信してくださって感謝しています。大変なことが起きたと思って、心の準備が出来ていなかった。知り合いの安否を確認することが最優先でした。
地震恐怖症の話を聞いたとき、直感的に自分の、いじめられた体験と重なりました。人間関係に敏感に反応してしまい、恐怖で心が休まらない。いつまた迫害されるかと怯え、何も無いときでも幻覚や幻聴がある。自分の中では全く風化しない。同じ思いを味わってほしくはないですが、これを訴えたときに冷笑的な態度は許せない。震災の苦しみを訴える人に対する、某役人や某政治屋の態度は許せません。
言われてみれば、幻覚や幻聴も、突然襲ってくる怪物。あらかじめ対処を考え、その場で臨機応変に心をガードし、戦う。これは妖怪との戦いに似ていますし、戦う為に佐久間さんのような半人半妖の助けを借りるところなども、よく似ています。
「犬夜叉」は、震災に際して特別編が描かれましたが、奈落という最大の脅威が去った後も、厄介な妖怪は襲ってくるし、犠牲者も出る。これはまさに余震や恐怖症だと思いました。
全ての悲劇は創作の中に限定したいという思いを抱えながら、悲劇を読んだり書いたりしています。現実の悲劇は何も楽しくないです。
アッキー
2016/03/12 22:57

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