佐久間闇子と奇妙な世界

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zoom RSS 「サトリン」 第十五話 約束のクリスマス (鈍郎)

<<   作成日時 : 2016/10/01 00:30   >>

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■■■■■



11月の下旬、九古鈍郎は苛立ちを募らせていた。
「ああ畜生、くさくさするなあ!」
気分を変えなければと思うと、余計に感覚が固定される。
(ああもう、33歳にもなって、私は何を子供みたいに悪態をついてるんだ。・・・いや、年齢は関係ないか。)
ほんの些細なことで気分が揺れる。ぐらつく。
まるで精神疾患のようだと鈍郎は思い、それはあながち間違ってもいなかった。
この苛立ちが慢性的でない彼は、とても精神疾患とは言えないが、しかし彼の精神に病的な気質があるのは確かだった。その気質が、彼の超能力の発達を阻害していた。

仲間たちは順調に成長している。
七村七美は7月の戦いで無理をしたにもかかわらず、この4ヶ月で驚異的な回復力を見せており、どうやら無理したことが適度な“きっかけ”になったようだ。8年かけて1割も回復していなかったのが、この4ヶ月で現在2割弱にまでなっている。“人格消去”(マインドデリート)という物騒な能力も、本来の能力の一角に過ぎず、半分でも力を取り戻せば、7月に戦った邪戦士5名などは、相手にもならないという。
五留吾永須の“損傷引受”(ダメージシフト)は、引き受けるダメージの量や種類、箇所などを細かく調整できるようになってきており、引き受けたときの自分のダメージも、7分の1から10分の1に減った。
十島瑠璃子の成長も著しく、丸字と十字を空中に具現化させ、命中率と回避率を格段に上げていた。
それをどこかで見たことがある気がすると首をかしげていた四方髪凜は、“力場補整”(エナジーギミック)を応用して、短時間ながら飛行も可能になっていた。

自分より早くに電脳戦士になった面々はまだしも、今年になって覚醒した3人も、既に力を使いこなしている。
六道櫃などは、目覚めた瞬間から高い戦闘力を得ているし、この4ヶ月で最も成長していると言えるのは、三角龍馬と八谷和真だ。
かつて“サトリン”が使用していた回路の大半は、“イヴィル”に乗っ取られていたが、八谷の“電子防御”(マインドガード)が内側からウイルスを抹消して、次々と取り戻していった。今までは取り戻すだけでも難儀していたが、八谷の能力は覚醒時から殆ど完成しており、保護に特化した能力である為に、いとも簡単に奪還できるのだ。
そして取り戻した後も、今までは防ぎきれなかった侵入を、三角の“老化現象”(タイムオールド)を用いた防壁が、これからは高い確率で阻むことが出来る。どのようなウイルスも、それ自体の劣化には勝てない。自らのセキュリティを強化するのではなく、侵入の手口を劣化させることで、“ガーディアン”のプロテクトが対応できる。

(仲間の成長と活躍は素直に嬉しい。)
(けれど)(けれども)
悩みの本質は、むしろ超能力とは別のところにあった。

“サトリン”率いる電脳戦士たちの本業は、“人助け”である。邪戦士と戦うことは副次的なものだ。
“アインストール”七村七美が攻撃的なので、悪と戦う正義の味方な印象があるが、チームとしての本質はアンパンマンだ。アンパンチを振るう方ではなく、自らの顔を食べさせてあげる、献身のヒーローなのだ。
悪に対する正義でもなく、悪に対する善でもなく、宿命や狂気でもない。
憎悪に対する、愛の戦士。
“イヴィル”から回線を取り戻したことで、困っている人々の嘆きは、再びサトリンのもとへ届くようになった。そして電脳戦士たちも、人助けに邁進していった。

ところが、そんな中で成果を出せない者がいた。
それが“インビンス”九古鈍郎である。
七村七美を攻撃的だと述べたが、その実、自分こそ攻撃的の最たるものではないかと九古鈍郎は思った。
7月の戦いでは、自らの能力で女生徒を傷つけ合わせてしまった。やむをえない状況だったとはいえ、それが言い訳になるほど人助けの世界は甘くない。
七美の“人格消去”(マインドデリート)は、つらい記憶を削除することも出来る。八谷の“電子保護”(マインドガード)は、今の自分のような苛立ちを鎮めてくれるだろう。瑠璃子や永須の能力が、どれほど人の役に立つかは言うまでもない。
自分の能力は強力だが、戦いにしか役に立たないのではないか。争わせるだけの能力に、平和な使い道はあるのか。

しかし、そういった超能力の性質は、本質の半分に満たない。
凜や櫃、三角も、決して人助け向きの能力ではない。しかし、人助け向きの性質を持っている。
総じて電脳戦士たちは、根本的なところで人への信頼があり、愛がある。
しかし自分は、むしろ邪戦士に近い性質を持っていると、鈍郎は思う。
“イヴィル・アタッカー”阪口勝起に語ったことは、皮肉ではなく、本心だ。
人間不信の、憎悪の塊。
10代20代の頃は、いつも苛立っていた。30を過ぎて少しは穏やかになったかと思えば、そんなメッキは簡単に剥がれてしまう。
「私は人助けに向いていると思いますか?」
「向いてないと思う。」
思い切って三角先輩に評価を仰いでみたところ、飾らない言葉が返ってきた。
ありがたかったが、同時にショックでもあった。
だがそこへ三角は、しかし、と付け加えた。
「人助けに向いている者には、助けられない者もいる。」
「・・・・・・?」
その言葉の意味を、鈍郎はすぐには理解できなかった。
「逆に訊こう。九古くんは、わたしが人助けに向いてると思うか?」
「思います。」
三角の問いに、すぐに答えた。
「そうか。しかし、わたしは茶倉くんと出会うことすら出来ず、九古くんは彼女を救えた。そういうことだ。」
妻の名を出されて、鈍郎はドキッとした。
もう1年近く会ってない妻。彼女の理知的な顔を思い出して、胸が高鳴る。
「世の中は、助ける側と助けられる側に分かれているわけではない。わたしたちの目指すべきは、人助けではなく、助け合いなのだ。」
「・・・!」
またしても衝撃を受けた。
この4ヶ月で、三角先輩は格段に意識の成長を遂げている。鈍郎は劣等感で胸が締め付けられた。
いつまでも子供みたいに苛立っている自分が、恥ずかしくて情けなかった。
「なあ、九古くん。わたしたちの力は小さい。わたしたちが人助けをするだけでは、焼け石に水、世界は変わらない。何ひとつ変わらない。だから、人助けではなく、助け合いなんだ。人を助ける者が強くあらねばならないなんて、誰が決めた? 強い者が弱者に救われたっていい。わたしは自分が人助けに向いているとは思えないが、向いているとしたら、自分が弱いままで人を助けられるからだろう。」
だとすれば、憎悪に囚われたままでも人を助けることは出来るのだろうか。
いや、出来るかどうかを考えるのではない。それを可能とする為に、自分は何を為すべきなのかを考えねばならないのだ。
十島瑠璃子を助けたとき、自分のことなど考えていたか。あのときは彼女を助けることに無我夢中ではなかったか。
(悪いクセだな。気持ちが輝いていたときのことを、すぐに忘れてしまう。)
それは現状に満足しない、前向きな精神でもあるのだが、超能力の伸び悩んでいる鈍郎は、後ろ向きな気持ちに固定されていた。
(以前は超能力など信じていなかった私が、今では超能力が伸びないことで気を揉んでいる。)
それは滑稽というより不気味だった。
未だに“サトリン”とは何者なのか、七美は語らない。他のメンバーも知らないようで、七美と同じく知ってる側であろう“ガーディアン”は、ホログラムでしか現れない。無論、黙して語らない。
何者かといえば、邪戦士というのも何なのか。
“イヴィル”とは。
声も知らない、謎の存在。邪戦士を束ねる者。“サトリン”の敵。
だが、“サトリン”が何者なのかわからないのであれば、その“敵”を、どのように捉えればいいのだろうか。
(もしも、私たちの方が悪であるなら?)
そのように疑ってみることは、九古鈍郎の本領である。


12月に入れば、気の早い店などは既にクリスマスの宣伝を始めている。
こうした“早い者勝ち”競争は、どこまで過熱するのだろうかと思いながら、鈍郎は街を歩いていた。
ふと、死んだ兄のことを思い出す。なにか連想させるものが目に付いたわけでなく、本当に何となくだ。
息子を虐待していた父親。
自分は、そんな男の弟なのだ。
たかが血の繋がりだと、理屈では思えても、その息子を引き取って育てたときのことを思うと、血は水より濃いということを感じてしまう。

自分は子育てに向いていない。
茶倉も向いていないだろう。
嬉々として子供に向かい合っている図が想像できない。

育児放棄も立派な虐待だし、虐待するくらいなら子供を作る資格は無い。
100パーセント確実な避妊は、セックスをしないことだけだ。コンドームを着けていても、ピルを飲んでいても、妊娠するときはする。
口さがない連中などは、夜の方はどうかとか、子供はまだかとか、愚にもつかない不躾なことを言ってくる。
彼らには、子育てに関する思いやりや責任感などは無いのだろう。
セックスレスが辛くないと言えば嘘になるが、生み出された子供が重荷になる方が、よっぽど辛い。
まして、子育ては社会的義務などという考え方には、決して賛同したくない。
(まあ、私と茶倉の関係が特殊なのは認めるけどね。)
それでも、特殊であるだけで、特別でも異常でもない。
そう言えば、左翼活動時代に阪口などは、所詮この世は男と女だとか、わかったような口を利いていたが、そういう馬鹿丸出しの中年にはなりたくないものだ。
鈍郎と茶倉は、男と女である前に、思想的同志だった。結婚を選んだのも、生活面での合理性を考えたからだ。
そんな結婚を打算的だと非難する、純粋ぶった連中は、不幸な子供をポロポロ生み出していたりする。
純愛ならセックスは無くてもいいはずだし、セックスも含めて純愛だというのなら、生まれてきた子供を不幸にする選択などしないはずだ。
子供を不幸にしておきながら、純愛を語る甘ったれどもより、鈍郎と茶倉の方が遥かに純粋であると、筆者は思う。

方や元左翼活動家、方や元婦人自衛官。
この夫婦の出会いは、12年前―――1992年に遡る。


- - - - - -


1992年というのは、ソビエト崩壊の直後である。
「まさか」、「そんな」、「やっぱり」、「どうすれば」。
様々な声が聞こえていたが、いずれにしても世界は混乱していた。
もっとも、世界が安定していたことがあったかは疑わしいので、とりわけ左翼の活動家たちの間での混乱だと言えるかもしれない。崩壊の予兆は80年代後半に顕れていたと言う人もいるし、レーニンが死んだ時点でソビエトは終わっていたと言う人もいる。いずれも正しいのだろう。
いわゆる共産主義なるものにとって、ソビエトの存在は大きかった。いや、赤色の範囲に留まるものではないだろう。今ある労働や福祉、反戦平和における常識の多くは、わずか数十年の間にソビエトが確立させてきたものである。
ところが、それが張子の虎であったことを、ソビエト崩壊と、その後の世界史が証明してしまった。

確立させたかもしれないが。
根付かせてはいなかった。

およそ贔屓目に見ても、根付いたと言えるのは当時ではキューバくらいのもので、多くの国が共産主義を離れた。
どれほど高い理想を掲げようとも、どれほど正しい主張をしようとも、それを無理に押し付けるのでは精度が低いし、正しくもないのだ。
ソビエトの功績と害悪を論じるのは難しいが、ひとつ確かなことは、ソビエトの人気に対抗するべく行ってきた福祉などが、ソビエト崩壊直後から切り崩されていったということだ。労働現場では非正規雇用が増え、“ブラック企業”という言葉も珍しくなくなった。反戦平和の形骸化も平行して進んだ。
そうした流れがハッキリと見られるのは、21世紀になってからだが、流れ自体は早くからある。ソビエトが健在な頃だって、皆無では決してない。
俗に言う、ロスト・ジェネレーション。
九古鈍郎の青春は、その真っ只中にあった。

「ああ・・・?」
荒んだ目つきの20歳。大学の三回生で、細い縞の入ったセーターに、黒めのズボン。
バイト先の塾では、スーツにネクタイで決めているが、普段はラフな格好だ。
彼の目に留まったのは、ビラを配っている男性だった。短く髪を切りそろえた、どこか愛嬌のある顔立ちで、後に小林と名乗る。
「そこの君。」
鈍郎が足を止めたのを、小林も見ていたのだ。
気さくな調子で呼びかけてきた。
「・・・はい。」
そのとき、そそくさと立ち去ることも出来たはずだった。
振り返ってみても、そのときの心理を思い出すのは難しい。ただ、ここでの行動と選択に、時代の流れが深く関係していたのは確かだった。

ビラを配っていた男―――小林が、その大学における左翼的なグループのメンバーだということは、容易に想像できた。振り返ってみれば、よくアジテーション(演説)をしていた顔だ。
九古鈍郎は、高校時代から、先輩の三角と共に反戦平和活動をしていた人物だが、かといって大学の左翼グループに共鳴していたわけではなかった。むしろ毛嫌いしていたと言ってもいい。
というのも、2年前に彼が受験で、この大学に二次試験を受けに来たとき、よりにもよって試験中にアジテーションをかましてくれたからだ。
言ってる内容が何であれ、試験中の人間にとっては騒音でしかない。大学には受かったから、恨んではいないものの、よろしくない記憶として刻まれていた。

小林に誘われて、しばらく話をして、その左翼グループの一員になったのは、ゆえに複雑な心理が絡んでいた。
ひとつは単純に小林が丁寧な話し方をしたからだったが、それ以外にも理由は3つある。
よく誤解されているが、反戦平和を唱えているからといって左翼と限ったわけではなく、左翼だからマルクス主義・共産主義者であるとも限らない。反戦論者の右翼だっているくらいだ。
鈍郎、そして三角は、子供の頃から反戦平和を志していたものの、いわゆる左翼ではなく、マルクス主義などは名前を聞いたことがある程度のものだった。
思想的にも実践的にも、右も左もわからない2人は、いわゆる“活動家”に憧れを抱いていた。例えば大杉栄とかに。
自分たちの貧しい実践を恥じる気持ちは、そのまま活動家への尊敬に転じ、それは現代の活動家へも向けられた。
大学で出会った活動家たちを、毛嫌いする一方で、その行動力には素直に尊敬を抱いていたのだ。
また、マルクス主義について興味を抱いたのも、大学に入ってからだった。
伊達に子供の頃から反戦平和を考えてきたわけではない。自分の中で様々なことを考え、構築してきたものが、19世紀に既に考えられていたのだと知って、驚きと尊敬を禁じえなかった。

しかし、最たる理由は、いよいよ左翼が落ち目になるからだったかもしれない。
言い方を変えれば、勝ち馬に乗りたくない。軽々しく活動したくない。付和雷同を良しとしない。
大学へ入ってからの2年間は、吟味の時間であり、様子見の時間だった。
落ち目になった途端に離れていく奴は、賢いのかもしれないが、しかし卑しい。
それも卑しいというだけで悪ではないのだが、鈍郎は気に食わなかった。気に食わないと文句を垂れるだけでなく、自分は逆を行ってやろうと思ったのだ。


左翼のアジトは、入口に鍵どころか扉そのものが無く、その気になれば誰でも入っていけそうだった。
それが開放的なのか無用心なのかは微妙なところだが、「自分たちは疚しいことはしていない」という主張のように感じられた。
実際問題として、その組織に“機密情報”などというものは存在せず、抱いていたイメージ通りだったのは、壁の汚さくらいのものだった。廊下には本棚があり、マンガも置いてあった。
もっとも、アジトでの思い出には、あまり良いものはない。キナ臭い秘密結社でないのは安心したが、下品さや無神経さには辟易させられた。阪口との出会いも不愉快な記憶だが、それよりも忘れがたいのは夏休みの一件だ。
戦時中に、日本軍が女を強姦したことについての話。証言する被害者を嘘つき呼ばわりし、そんな事実は無かったと、熱弁を振るう青年がいた。
鈍郎は唖然とした。そんな人間が左翼を名乗っていることが信じられなかった。
右翼が言うなら、まだわかる。それに賛同も同調もしないが、右翼の主張としては有り得ると思う。
しかし、場所は左翼のアジトだ。
鈍郎は眩暈がして、吐きそうになった。
被害者を嘘つき呼ばわりする根拠として、その青年が挙げたのは、証言の内容に矛盾が見られることだという。
(馬鹿かコイツ。)
鈍郎は、小学校時代いじめられた経験があるだけに、そう思った。
(思い出したくもない、発狂しそうなくらいの記憶を、正確に覚えてられるわけねーだろがボケ。)
被害の細部は覚えていても。
日時や場所、前後関係まで覚えていられるはずもない。
自分がそうだから、よくわかる。
そして周囲の人々は、鈍郎に対して、あの青年は熱心な活動家なのだとフォローを入れていた。
ますます眩暈がした。
(これが左翼か)(こんなものが左翼か)
殺し合いの方がマシだったかもしれない。
そんなことまで考える自分に、嫌気が差した。


すっかり左翼に嫌気が差していた頃、鈍郎はバイト先の塾で、新たに生徒を受け持つことになった。
その塾には勤めて3年近くになるが、他の教師が手を焼く生徒を回されてくるのが常になっていた。
人を見下す態度の女子生徒に、軍国主義の男子生徒。集中力が拙く成績がボロボロの生徒もいたし、何かと欠席する生徒もいた。
とはいえ、その待遇に鈍郎は不満を抱いているわけではなかった。
(今度は、どんなヤツだ?)
むしろ、自分が会社に役に立っていることが嬉しく、教育者としても遣り甲斐を感じていた。
期待にも近い感情に胸を躍らせる鈍郎に紹介されたのは、目を見開くような美少女だった。
「はじめまして、九古です。」
「はじめまして、咲村茶倉です。」
礼儀正しく挨拶した彼女は、とても自分に回されてくるような問題児には思えなかった。
高校受験のときも塾で指導していた生徒らしく、それから3年後の現在、自衛隊に入りたいから試験の対策をしてくれと言ってきた、というのだ。
この塾が、左翼的な―――少なくとも左派に属する人々が経営していることは、薄々わかっていた鈍郎は、彼女が自分のところへ回されてきた意味がわかった。
(左翼は自衛隊が嫌いな人、多いからな。)
他人事にように思う鈍郎だったが、その実、彼も自衛隊には良くない感情を抱いていた。
憲法違反の、れっきとした日本軍。
軍隊ではないという建前のもとに使われる、おびただしい費用。
それ以外に、実際に自衛隊員から不愉快な目に合わされた、高校の修学旅行。船の中でのこと。あのときのことは苦い記憶として残っている。
ゆえに自衛隊に対する印象に、マイナスはあってもプラスは何ひとつ無かったのだが、このときの鈍郎には別の感覚がはたらいていた。
左翼への期待と憧れが、失望と嫌気に塗りたくられていた頃なのだ。

一言で表現すれば。
ぐらついていた。

それは、今まで自分が嫌っていたものに対しても、再度点検してみようという感覚を生じさせていた。
思えば自分は、自衛隊に関して無知だ。おおまかな歴史的経緯は知っていても、具体的な内実は修学旅行での一件くらいしか知らない。あれが自衛隊の全てではないと思えるほどの頭はあるし、そもそも小学校時代の苛烈ないじめに比べれば、よくある不愉快なだけの記憶のひとつに過ぎないのだ。
ともあれ九古鈍郎は、咲村茶倉の指導を引き受けることにした。

咲村茶倉は、教えやすい生徒だった。
それはあくまで九古鈍郎にとっては、という意味であるが、教えているのが彼ひとりなので、誰に憚ることなく正しい表現だろう。
口数こそ少ないが、説明したことに対して、わかったならば理解の意を示し、わからないなら質問を繰り返した。
他の生徒によくあるような、苛立ちや知ったかぶり、ふてくされた態度などが、彼女には皆無だった。
決して成績が良いわけではないのだが、数学だけは異常に良く出来た。反面、英語と理科が酷かったので、全体としての成績は真ん中より下ではあったのだが・・・。
実質的な指導内容は、半分は高校を卒業する為のもので、苦手教科でも単位を取れるようにするのが目的だった。
問題があるとすれば、学力ではないだろう。
鈍郎は、茶倉が自衛隊を志望していると聞いたとき、左翼的な感覚とは別の意味で危惧を抱いた。
それは単純に、彼女があまりにも華奢であったことだ。
もちろん自衛隊には会計や通信など事務的な部隊もあるのだが、それでも体力勝負と無縁でいられるとは、とても思えなかった。
いや、そういう意味で言うならば、そもそも社会の荒波に揉まれたら転覆してしまいそうな儚さがあった。
何年も後になってから知ることになるが、咲村茶倉は何と、4つも年齢を誤魔化していたのだった。
そこには並々ならぬ経緯があるのだが、それを聞いて鈍郎は、自分はロリコンではないかと悩んだという。結婚したのは彼女が18歳、鈍郎が25歳のときなので、別にロリコンではないのだが、何となく落ち着かない気分だった。
しかしそれは、もう少し先のことだ。
この当時、1992年の冬は、教師と生徒である以上の関係は無かった。
ただ、一度だけ茶倉が、授業と関係ない質問をしたことがある。
「父親のいない子供って、どう思いますか?」
「え、ええっ・・・?」
彼女が母親と二人暮らしで、母親が病気で入院しているというのは聞いていたが、そんな質問をされるとは思っていなかった。
後から考えれば、もっと適切な対応が出来たと思うが、そのときは、しどろもどろでぐだぐだな会話で終わってしまった。

茶倉は無事に試験に合格し、その後も鈍郎は、塾で働き続けた。
例の左翼グループには、大学を卒業してからも在籍していた。大きな失望も味わったが、小林をはじめとして、良くしてくれる人たちもいて、なかなか訣別しようとまでは思い切れなかったのだ。
重苦しさと充実感を同時に抱えたまま、鈍郎は活動を続けることになる。精神的な支えとしては、三角先輩の存在が大きかった。

左翼グループの人間関係は、曖昧というか境界的なもので、様々な種類の人間と関わった。
チェルノブイリ原発事故の跡地に潜り込んで写真を撮ってきたという男性や、沖縄で琉球民族解放を目指して活動している女性とも知り合った。その2人のことは尊敬していた。
反面、軽蔑に値する人もいた。女性解放を唱えながら、何かと「男でしょ?」と鈍郎に文句を垂れる女性や、他の女性メンバーの彼氏で、何かとオタクを下に見る発言をする男性など。
しかし、鈍郎が軽蔑する連中が人気あったり、沖縄の女性活動家が「民族主義がキツすぎ」と評されたり、写真家の男性が意見を蔑ろにされることが多かったりした。

そんな状況で、1995年の8月を迎えた。
戦後50年。暑さよりも、妙に胸がざわついていたことを覚えている。
得体の知れない不安感や寂しさを紛らわすように、鈍郎は威勢よく街頭演説を行った。
当時23歳。戦争を知らない世代が、自分の倍も生きていたりするのだと思うと、奇妙な焦燥感に襲われた。
反応の乏しさや、仲間たちの元気の無さが、それを苛立ちに変えていた。自販機で買ったコーヒーを、その苛立ちと共に飲み込んだ。
ジイジイと蝉が鳴いていて、ふと左手に妙な痺れが走った。
疲れていた。
家に帰って倒れるように眠り、8月15日は終わった。


翌年、1996年の2月に、仲間たちと共に沖縄へ行った。
反戦平和を志す者として、広島と沖縄には是非とも訪れてみたいと思っていた鈍郎は、有志が募られたとき真っ先に手を挙げた。こんな積極性を発揮したのは、中学生のとき以来かもしれない。
全体の目的は米軍基地前でのデモ行進であったが、鈍郎の興味は戦争の資料の方にあった。ひとつは“ガマ”であり、夜の闇も及ばない真の暗闇というものを、そこで初めて知った。
ひめゆりの塔や、当時の体験者の日記など、興味深いものは幾つもあったが、時間に追われてロクに読めなかった。
仲間たちの意識は“現在”に向いており、“過去”のことはあまり興味が無いようだった。それは普段から、鈍郎が戦争被害の補償について語ると煙たがられることにも、顕れていた。
(またいつか来よう。)
それが叶うのは、結婚してからのことになる。
このときは後ろ髪を引かれる思いで、施設を後にした。

反戦平和との関連性は薄いかもしれないが、鈍郎の個人的な興味としては、琉球名物の食べ物があった。
ちんすこうというクッキーに、サーターアンタギーというドーナツ。ちんすこうは紫芋を練り込んだものが特に美味しく、お土産に3パックも買ってしまったほどだ。
ソーキ蕎麦は、あっさりとした麺と汁に、こってりとした豚足とのコラボレーションが絶妙だった。
そして、ヤギの刺身を食べる機会に恵まれた。臭みがあると聞いていたが、それも含めて絶品だった。食べ過ぎると血圧が上がるということで、少ししか食べられなかったが、忘れられない味となった。
こんな呑気に観光などしていていいのかと思ったが、しかし考えてみれば、これも“平和”の要素として欠かせないものだ。守りたい“平和”なくして、反戦も有り得ない。
ふと窓の外を見ると、米軍基地の方角で、別の反戦活動団体が凧揚げで抗議を行っていた。
(危ないなあ。)
その発想は無かったと、そのときは失笑したが、しかし考えてみれば本当に危ないのは基地の存在だ。
例の“琉球民族主義者”の言葉が忘れられない。
『軍備に賛成を唱えている男どもは、まず沖縄の現実を見ろ! 軍隊の男どもが暴力事件や強姦事件を起こしている現実を直視しろ! 話はそれからだ! 日本全土が“オキナワ”になっても同じことが言えるんか!?』
彼女によれば、米軍基地を潰して産業に回せば、沖縄の人々にとっての経済的利益は単位面積あたり数十から数百倍になりという。基地が経済を潤しているという論が、いかに乾いた俗論であるかを語っていた。
その数値が決して大袈裟でないことは、高台から基地を見渡したときに実感した。
広い。あまりにも広い。
戦闘機がプラモデルに見えた。
(無駄に広い。)
ある種の感動と共に、もったいない精神が首をもたげていた。

居酒屋というのは、煩わしい子供の騒ぎ声から隔絶された空間で、鈍郎にとって居心地の良い場所であったが、ただひとつ、煙草の煙だけは苦手だった。
左翼の仲間にも喫煙者は多く、公園の集会などでも煙草の煙が漂ってきて咳き込むことが度々あった。
自分の前では吸わないで欲しいと、何度も訴えた。それで気をつけてくれる人はまだいいのだが、喫煙者の理屈を滔々と語られたり、凶暴に怒鳴り散らされることもあった。
そんなことが降り積もって、心に溜まっていた。煙草を吸う人間を誰彼構わず攻撃しようとは思わないが、マナーの悪い連中が自らを社会的弱者の立場に置いているのは許せなかった。
右翼だとか、左翼だとか、そうした思想の方面とは別の、感覚的な部分・・・あるいは、そうした細かなことも含めてこそ生きた思想なのかもしれないが、いずれにしても鈍郎の気分は慢性的に澱んでいた。
沖縄観光で普段になく澄んだ心でいたものの、仲間たちが煙草を吸い始めたので席を立った。
ここで何か言っても互いに気分を害してしまうだろう。せっかくの観光で、そうしたことは避けたかった。
「ふう・・・。」
酒も入って火照っていたので、夜風が気持ちい。室内の喧騒が遠くなる。
(ここで煙草を一服でもすれば、決まるんだろうが・・・。)
よく誤解されるが、鈍郎は煙草の匂いや煙たさが嫌いなのであって、刑事が煙草を吸っている画(シーン)などは、むしろ好きな部類に入る。西部劇でガンマンが、戦いの後に一服遣っている様などは、もうたまらない。
それゆえに、その品格を貶めるような、喫煙マナーの悪い連中が、目障りで仕方ない。
(あーあーあ、決まらんな私は。)
24歳。今年の秋には25歳。
高校時代の同級生には、結婚して子供が生まれている者も少なくない。
鈍郎は、相変わらず非正規雇用。バイト社員のままで、年収は100万円前後。この6年間で500万円も稼いでいない。貯金など殆ど無い。
たとえ結婚しなくても、世界平和の為に人生を捧げられたら悔いは無いと思っていたが、肝心の平和に懸ける情熱が揺らぎ軋んでいる。亀裂が入って約4年。
それでも左翼の側に居続けている理由は、左翼批判をしている連中の愚劣さ低劣さにある。左翼活動から手を引くことで、あんな考え無しの馬鹿どもに同調すると思うと、胸糞悪い。
そんな、後ろ向きな思い。
こんな気持ちで反戦平和なんかやっていていいのか。決まらないというより、心の中で筋が通らない。
(冷えてきたな・・・。)
建物の中に戻ろうとしたときだった。
「九古さん、お久しぶりです。」
妙に澄んだ声が、後ろから響いてきた。

その少女は、迷彩服を着ていた。
鈍郎の認識では20歳か21歳のはずだが、3年前と変わらぬ少女のような姿で、そこに彼女は立っていた。
実際、本当の年齢は18歳であったわけだが、中学生に間違われても不思議ではないほどだ。
しかし逆に、何を着ようが、どこへ行こうが、周囲から浮いてしまうのも確かだろう。そういう人種、自分と同類。

「・・・咲村さん?」
記憶を手繰り寄せるまで数秒。
実際に自衛隊の制服を着た彼女を見ていると、何かのコスプレにしか見えない。よく似合っているが、マンガの中から出てきたような、奇妙な非現実感がある。こんな細い体で、自衛隊員が務まるのか心配になった。
もちろん自衛隊員としての規定身長はクリアしているし、実際に制服を着ているからには自衛官なのだろうが、彼女が敵である可能性を考えもしないほどに、鈍郎は心配の方に気を取られていた。
ただ、その可能性を鈍郎が考え付いたとしても、態度には出さなかっただろう。
彼女の瞳は気高く、声と同じに澄んでいた。
(私は?)
自分の目つきは、おそらく濁っているのだろう。鏡を見なくても、気分でわかる。
反戦平和を目指している自分が濁っていて。
人殺しの職業に就いている彼女が澄んでいる。
(何それ。)
結婚してなくても、年収が少なくても、それを恥じたことはない鈍郎だが、このときばかりは大いに恥じた。
「偶然ですね。」
彼女は言った。
(偶然?)
そのとき初めて、鈍郎は違和感を覚えた。自衛隊員というものは、夜間に1人で外出が許されているのだろうか。
休みの日だというのであれば、戦闘服を着ているのは変だ。
「仕事中じゃないの?」
「はい。」
「・・・・・・。」
どっちの意味での「はい」だろうか。それだけで彼女は黙ってしまったので、わからない。
「3年、になるのかな。」
「はい。」
澄んだ瞳が真っ直ぐに見つめてくる。
かつての教え子に無様な姿は見せられないと思うと、息苦しい。
そんなプライドに、しがみつこうとしている自分が、情けない。
「それでは、また。」
やはり仕事中だったのだろうか。彼女は二言三言話しただけで去っていった。
思わぬ再会に心を乱されながらも、鈍郎は去り際に彼女が一瞬だけ見せた微笑に、胸を高鳴らせていた。
しかしそれも、家に戻ったときに忘れてしまった。

兄の死を報されて。


- - - - - -


九古貞主(くこ・ていしゅ)は、6歳のときに終戦を経験した。
生まれたときから今まで、戦争の時代しか知らなかったので、“終戦”が何なのかピンと来なかった。
そんなに喜ぶべきことなのか。
そんなに悲しむべきことなのか。
自分の生活は何ひとつ変わっていないではないか。
ぼんやりと幼心に思っていた、そうした感想は、時と共に意識から薄れていった。
小学校の頃は、取り立てて語るようなことはない。良いことも嫌なこともあったはずだが、夏の日の白昼夢のように意識が遠い。
中学時代に彼は、初恋を経験する。
その少女と同じクラスでないことを、彼は恨めしく思った。
大人になってからもノスタルジックな感傷と共に思い出される彼女は、二年生の夏に行方を晦ました。
それから、友人も出来たり、恋人も出来たりした。
何人目かの恋人と結婚したが、わずか半年で破綻。しかし、その次に結婚した相手とは上手くいった。
その彼女、銀錠志穂(ぎんじょう・しほ)との間に、鋭郎と鈍郎を設ける。
色々あったものの、健やかな家庭を築けたと思っていた。
ところが1974年、鋭郎が9歳、鈍郎が2歳のときに、志穂は自殺してしまう。鋭郎の10歳の誕生日が、間近に迫っていたときだった。
理由は全くわからなかった。
心当たりも無かった。
逆に、とても理由とは思えない、細かな心当たりは多すぎた。
どれが決定打でもなく、日々の生活の中で少しずつ積もり積もったものが溢れたのだろうか。
そう思うしかなかった。
そう思えるまでにも3年かかった。
晴れない気分のまま貞主は、再び“次”を求め始める。付き合っては別れ、その繰り返しで、不実な行いもした。
気が付けば40歳を過ぎていたが、心は惑うばかり。子供たちの方が、よほどしっかりしていると感じた。
1981年。鋭郎は17歳、誕生日が来る前の鈍郎は9歳。兄は名の通り鋭く賢く、弟も年相応より大人びていて、鈍色の頭脳を持っていた。

この世での、自分の役目が終わったと感じるのは、どんなときだろうか。
役目を終えた者たちが、それに気付かず無様な生を晒すことに、いつからか貞主は強い怒りを感じていた。
老人に向けた言葉ではない。20歳で役目を終えた青年もいる。10台で役目を終えた少女もいる。太く短い人生を、精一杯生きた者たちだ。
若いうちに死ぬのを誉れとしているわけでもない。30歳を過ぎてからスタートを切った作家もいれば、50歳を過ぎて役目を半分も終えてない革命家もいる。
年齢ではなく、生き方。
“役目を終えた”とは、“努力を終えた”ということだ。
努力を投げ出した者は自ら死ぬべきだと考えていた九古貞主は、その信念を自らにも適用させ、その年の5月に阿蘇山へ向かった。
そして帰らなかった。


九古鈍郎は、物心ついたときから兄に対して劣等感を抱いていた。
7つ離れた兄は、何事にも動じず、何でも知っているように思えた。
そんな兄が好きで、第二の父親のように敬愛していたから、劣等感にも負けなかった。
敵わないと感じ苛立っても、それを表面に出すことを、自分に許しはしなかった。そんな自分を誇りに思えた。
ふてくされたり不平を撒き散らしたりして、父や兄を悲しませたくなかった。
見ず知らずの世間様に対してではなく、尊敬できる人―――父に、兄に、そして自分に恥じぬ生き方をしようと、小学生になる頃には心に決めていた。
父・貞主が「恥を知るより大事なことはない」と口癖のように言っていたが、その度に勇気付けられた。
嫌悪や苛立ちを軽々しく人にぶつける愚を、自分に許してはならない。
人に嫌悪をぶつけるというのは、戦争する覚悟でやるものだと。
ケンカするときは、死ぬか殺すかまで腹を決めろと。
その覚悟が出来ないなら、耐えろと。
よく父は言っていた。
主に話を聞くのは鋭郎だったが、鈍郎も横で頷いていた。

優しく厳しい父が失踪したのは、鈍郎が10歳の誕生日を迎える数ヶ月前だった。
その前日に父は、「お前たちには2歳になる妹がいる」と告げた。
父は二度と帰ってこないとわかった。
「父さんは、自分を許せなかったんだ。」
そう言った兄は、自殺者を嫌うような人を嫌悪していた。
自殺者を嫌うような奴は、苦労を知らない。大した苦労もしてないのに、苦労をしたつもりでいる。
そんな兄の言葉に、鈍郎は半分だけ共感した。少なくとも、両親を悪く言われるのは嫌だと思った。
恥を知らない人間ほど、自ら死を選ぶ人間を悪く言うのだと、子供心に思った。

鈍郎が中学を卒業すると共に、兄は結婚した。
以前から付き合っていた人で、子供も生まれていた。
恋人の妊娠と出産、弟の受験勉強。
それらを同時にサポートし、自らの仕事もバリバリこなす兄・鋭郎は、スーパーマンのようだった。
結婚相手の坪内純(つぼうち・じゅん)は、ふくよかで小柄な女性だった。よく笑う人で、良き母だった。
絵に描いたような幸せな家庭で、鈍郎は独立してからも頻繁に遊びに行った。
このまま幸せが続いていくのだと思っていた。両親の死は、やがて過去になろうとしていた。

ところが3年後の1990年、不幸は突然やって来た。
鈍郎が大学へ合格した矢先のことだった。
泥棒が一家へ入り、そこへタイミング悪しく帰って来た純が、刺し殺されたのだ。
犯人は捕まっていない。
欠けた歯車は戻らない。
それから兄の家に行きづらくなった鈍郎は、甥が虐待されていたことも、死の報せと共に知ったのだった。
(兄さん)(どうして)(兄さん)(ごめん)(私が側にいるべきだったんだ)(兄さん)(兄さん)


1996年の、2月半ばから7月の終わり頃まで。
半年ほどの間、鈍郎は舜平と共に暮らした。
24歳の鈍郎と、9歳10歳の舜平。
子育ての経験も無い青年と、虐待を受けてきた少年が、上手く行くはずもなかった。
鈍郎が参ったのは、舜平の暴力や暴言だった。
9歳といってもそれなりに力はある。食器を運んでいる最中に蹴られて、皿を割ったことが何度もあった。
暴言も酷く、下品な単語を連発されると気が滅入った。ふてくされたり、癇癪を起こしたり、とにかく気の休まる時間が無かった。
それでも、虐待を受けてきた子供だからと、辛抱強く接した。諦めず、対話を試みた。
誰でも最初は子育ての経験が無いものだし、最初は上手く行かなくても、やっていくうちに上手くなると思っていた。
振り返ってみれば、何と浅はかな考えだったのだろう。鈍郎は、自分の精神が想像以上に疲弊していることに気付いていなかったのだ。
舜平の誕生日、彼は何か腹の立つことでもあったのか、ふてくされた顔で座り、顔面をケーキにグシャッと埋めて、ふんっと鼻を鳴らして部屋に引っ込んでしまった。
「・・・・・・。」
唖然とした鈍郎は、涙が出そうになった。笑顔で値段を割り引いてくれた、店のおじさんの顔が浮かんだ。
彼が「しゅんぺいくん おたんじょうび おめでとう」とデコペンで書いたチョコプレートは、汚らしく潰れたケーキの中で割れていた。字が滲んでいた。
「・・・・・・。」
ケーキをゴミ箱へ捨てるとき、命を無駄にしたのだという悲しみが湧いてきて、また泣きそうになった。
それは怒りに変わっていった。
「・・・・・・死ねよ、恥知らず。」
口走った瞬間に、鈍郎はハッとした。
自分の中で、決定的な何かが終わったと思った。
(あ)(もう駄目だ)(これ)
このまま生活を続けたら、今の嫌悪感が永遠に固定されると思った。その瀬戸際。

急いで三角先輩に連絡した。
他に頼れる人はいなかった。役所の連中も、左翼の人々も、頼りにならない。
苦境を訴えると、三角先輩は血相を変えて飛んできた。そのときの安堵感を忘れない。
(本当に兄さんのようだ。)
“三角”と“鈍郎”で、鈍角兄弟かと、そんなことを考えて笑った。そんなことを考える余裕がある自分は、大丈夫だと思えた。
しかし、このエピソードは決して後味の良いものではない。別れ際に舜平は、「おまえなんかに子供を育てる資格は無いからな! おぼえとけよ!」と、憎まれ口を叩き、それは鈍郎の心に深く突き刺さって抜けなくなった。
疲弊して気力の萎えた状態で、鈍郎は8月15日を迎えた。反戦平和へ懸ける情熱は冷めていた。
蝉の声が聞こえる中で、鈍郎は畳に体を預けた。


- - - - - -


「九古さん、誕生日おめでとうございます。」
何の前触れもなく、咲村茶倉が現れたのは、9月の鈍郎の誕生日だった。
2月のときのような迷彩服ではなく、清楚な白のワンピースに、ポニーテールに結った黒髪。
(美人は何を着ても似合うなあ。)
そんな感想を抱きつつ、鈍郎は不思議に思った。
「どうしてここに?」
「あなたと結婚する為に。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
鈍郎の頭は真っ白になった。
いきなり美人が出てきてプロポーズとか。これは冴えない自分の願望が見せている夢か何かではないのか。
「はい。」
気が付けばプロポーズを受けていた。
疑問は多いが、断る理由が無い。
すると彼女は婚姻届を出してきた。既に彼女の分は書かれてある。
自分の願望にしては事務的で色気が無いと思いながら、鈍郎は思いっきり頬をつねってみた。
痛かった。
どうやら現実のようだ。
(何だこれ。罠か?)
結婚詐欺とか美人局とか考えたが、しかし彼女がそんなことするはずがないと思った。
「ひとつ、訊いてもいいかな。どうして私と結婚しようと?」
質問したいことと言ってることに若干のズレを感じながら、鈍郎は答えを待った。
「無駄が嫌いなので。」
彼女の答えは意味がわからなかった。
いや、言葉の意味はわかるのだが、意図が掴めない。
「結婚はゴールではなくスタートです。スタート地点に行くまでに労力を費やしたくありません。」
「なるほど。合理的だ。」
咄嗟に同意してしまったが、兄のときと同じで半分だけの同意だ。
そして肝心の、結婚そのものの動機を、何も語っていない。
「じゃあ、結婚しよう。」
「はい。」
表情も声色も変えずに、彼女は言った。

以上が、九古鈍郎と咲村茶倉が結婚に至るまでの経緯であるが、これは物語の一面に過ぎない。
散りばめられた謎を補完する為には、これから茶倉の側を語らねばならないだろう。


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「サトリン」第二部まとめ読み
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佐久間闇子と奇妙な世界
2016/10/01 01:06

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「サトリン」 第十五話 約束のクリスマス (鈍郎) 佐久間闇子と奇妙な世界/BIGLOBEウェブリブログ
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