佐久間闇子と奇妙な世界

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zoom RSS 決闘祭!   Act 1 開会

<<   作成日時 : 2016/10/17 00:00   >>

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◆ ◆ ◆



Destiny! 運命を信じて

Unite! 互いに結束し

Entertainment! 楽しみ、楽しませ

Language! 言葉の垣根を越えて

デュエルすることを、ここに誓います!




◆ ◆ ◆



大変なことになったものだ―――・・・と、秋野連珠(あきの・れんじゅ)は、思わなかった。

「今日が、開会式か。」

いつかはこんな日が来ると漠然と思っていて、それが現実になったんだなぁと、多少の感慨を覚える程度だ。
たとえ彼女が、高校生の頃はデュエリスト能力者であったとしても。
それから10年が経った今、翔武学園の教師になっていたとしても。
自分が顧問を務めたこともある生徒会の人間が、晴れ舞台で大役を務めることになったとしても。
素直に喜びこそすれ、不安や緊張は感じなかった。

ひねくれた言い方をするならば、“こんな社会”で平穏に生きる為の努力こそが、常に不安と緊張に苛まれるようなことであり、比ぶれば、デュエリスト能力者の存在が社会的に明かされることなどは、むしろ“お祭”と言っても差し支えない。少なくとも、同僚の梅原和子(うめはら・かずこ)のような杞憂は、抱かない。

「大変なことになりましたねえー。」

緑茶の入った陶器の器を机に置いて梅原は、やや大袈裟とも思える口調で話しかけてきた。
別に話しかけたつもりはなく、ただの独り言だったのだが、秋野は上品に笑って頷いた。

「そうですね。色々と混乱はあるでしょうね。」

それは秋野の本心だが、だから大変だとは思わない。
もちろん、そこは口には出さない。相手が自分の倍ほども生きている目上の教師だからというのもあるが、そもそも反論しても不毛な相手だと位置づけているのだ。

「天神さん、大丈夫ですかねえー。頑張りすぎて、また3年前みたいにならないといいんですけどねえー。」
「心配するとキリがないですよ。案ずるより産むが易しとも言いますから。」
「けれどねえー。若い人はあまり知らないけど、昔は頑張れ頑張れって人に頑張りを強いて、それで取り返しのつかないことになってきたからねえー。頑張れって言うの、好きじゃないの。」
「・・・・・・。」

耳にタコが出来るほどではないが、事あるごとに聞いてきたセリフだ。それは一理あるとは思いつつも、秋野は迂闊に同意したくなかった。
秋野も人に「頑張れ」と言うのは好きではない。しかしそれは、“人に「頑張れ」と言うべきではない”と思っているわけではない。適切な励ましは、必要とまでは言わないものの、良いことであるのは間違いない。
自分が頑張らない人間だから、人に「頑張れ」と言いたくないだけであって、むしろ励ましは好ましく思っている。

生徒はそんなにヤワではない。天神だって、自分などより強い心を持っていると秋野は思う。
少なくとも、大学時代に精神を病んで2年も休学した自分などよりは。

梅原の、生徒を見くびる言動、年下を軽く見る傾向は、自分でも気に障るくらいだから、現役の高校生にとってはたまったものではないだろう。
朝比奈が反発していたのは当然だと思うし、どちらかというと朝比奈に肩入れする気分だった。

その朝比奈とは、悪い関係ではなかったと秋野は思っている。
天神が不登校になっていた頃の顧問(新任なので押し付けられた)である自分に対して、悪い感情が無いとは思えないが、表面上は穏やかな関係を保っていた。
それは、少なくとも、“上辺だけであっても敬意を払うに相応しい相手”と見られていたのだと、秋野は捉える。

決して好かれてはいなかったかもしれないが、同じだけ嫌われてもいなかったと思う。
それで十分、いち教師として喜ぶに値する2年間だった。
顧問を引退した後の1年間も、彼女が卒業した後から今までも、会えば互いに挨拶を交わす程度には良好な関係を維持できている。そう、十分に“良好”だと思えるのだ。

「朝比奈さんにもねえー、天神さんが不登校になったときあんたらは何やってたんだと言われたけど、生徒は教師の苦労を知らないからねえー。」
「そうかもしれませんね。」

生徒会室でのことは、鷹野が律儀に報告してくれていたので、だいたいのことは知っている。
朝比奈の性格からして、天神に対処できなかったことを責めたのではなく、何もしなかった人間が口だけ出してくることを非難したのだと思うが、梅原のような鈍感な人間には意思が正確に伝わることはない。
梅原を含む何人かの教師は、天神の不登校に関して何度も会議を持ち、対策を練っていたわけだが、家庭訪問も断られて徒労に終わった。
なるほど、生徒は想像もしてないだろう。まさか分別盛りのいい大人が、SALでも呆れるような見当違いの努力を積み重ね、生徒の為に苦労していると思い込んでいることなど、知らないし、知ったこっちゃない。

秋野は頑張らない人間だが、良く言えば、無駄な努力をしない人間と言える。(良く言いすぎだが。)
天神が不登校になったときも、最初から何もしないと決めていた。
そもそも“不登校”というのが、さしたる問題だとは思えなかった。頭を抱える教師たちを、秋野は冷ややかな目で見つめていた。
いち教師として、可能な限り従来の古めかしい感覚に則って考えても、百歩譲って小中学校で不登校が問題だというならわかる。だが、ここは高校だ。少なくとも、学校側が知恵を振り絞って対策すべきことではない。

しかし、冷ややかな視線をおくりこそすれ、理解不能というわけではない。
学校としての世間体、あるいは天神の将来や精神的なことへの心配。それらは秋野に理解不能なことではない。
・・・が、賛同できることでもない。
世間体については共感と反発の両方を覚える(やや反発が勝る)が、天神自身について何やかんや心配するのは、理解は出来てもアホかと思う。

生徒はそんなにヤワではない。別な言い方をすれば、不登校になる生徒がヤワだとは限らない。
不登校の生徒を問題視し、頭を悩ませる教師こそ、精神的に脆いと言っても過言ではない。
たかが不登校、死ぬわけでなし。
そして教師が何もしなくても、生徒が解決してくれた。これもまた、案ずるより産むが易しの好例だ。

そもそも教師の仕事は他にあるだろうと、秋野は言いたい。
一部の“問題児”に頭を悩ませ「教師は苦労している」と言ったり、あるいは問題を解決して「教師冥利に尽きる」と言ったりしているのを見て、共感できる部分はあれど、基本的には馬鹿らしいと思う。
「問題児を見捨てないことは、問題児から被害を受けている生徒を見捨てることだ」なんて言葉があるが、不登校児を“問題児扱い”するのは、登校している生徒を軽んじることでもあるだろう。

教師が大変な職業であることに異論は無い。
だが、問題児に手をかけるばかりか、問題児の定義を広くする教師が、“優れた教師”として幅を利かしている。
大変だ、大変だと、声を大にして言う教師は、何故か決まって自分で問題を広げている人々なのだ。
この国の教育システムに問題が無いとは思えないし、むしろ病的に問題だらけの糞システムだと秋野は思うが、真摯な声が安っぽい大声に掻き消されている現状で、教育改革を訴える気にはなれないのだ。

「きっと朝比奈さんは、天神さんが弱い人だと侮辱されたように感じたのだと思いますよ。彼女も天神さんのことを思っていることには違いないですから、見守ってあげようじゃないですか。」

それは半分は本心で、半分は嘘だった。
天神のことを思っているのは間違いないが、だから物言いがキツくなったわけではなく、その逆で、刺々しさを加減していたのだろう。
朝比奈を見ていると高校時代の自分と重なるので、何となく気持ちが理解しやすい。顔もスタイルも成績も少しずつ負けているが、性格は似通ってるのではないかと勝手に想像している。
向こうもシンパシーを感じてくれていれば、かなり嬉しかったりするのだが。

それにしても、「見守ってあげよう」なんて偉そうな物言いは、自分で言ってて白々しかった。
秋野の感覚としては、せいぜい「見物しよう」くらいのものだ。天才や偉人を見物して感動のオコボレに与かる凡人の気分でしかない。
融和的な物言いと、若者を下に見る物言いをすれば、梅原を慰められると考えたに過ぎない。

「そうですねえー。見守ってあげるのも教師の務めですねえー。」
「海馬コーポレーションとインダストリアルイリュージョン社の企画ですし、何かあっても対処できますよ。」

思想こど違えど、秋野は梅原のことは嫌いではない。好きではないが、嫌いでもない。
気に食わないところも多いし、尊敬は出来ないが、少なくとも“気を遣おうとは思える”程度には。

自分が小中学校時代、いじめを受けて「学校に行きたくない」と言ったとき、「頑張れ」と励ますのではなく、梅原のような「頑張らなくていい」と言ってくれる大人がいれば、少しはマシな人間になっていたかもしれないと思うと、彼女の視野狭窄も100パーセント否定できるものではないとは、少なくとも、思うのだ。
もちろん梅原が自分の担任だったら、いらぬお節介を焼いていた可能性は決して低くないのだけれども、頑張って潰れた自分のような人間には、「頑張らない」思想が優しく響くときもある。

「それにプラス思考で考えれば、レベル5能力者が大勢集まれば、彼女も悪目立ちせずに済むでしょう。」

これは少なくとも90パーセント以上、本心から言っている。
レベル5能力者は奇抜な性格の人間が多く、天神美月は「唯一まともなレベル5」と評されているくらいである。

その彼女とて、決して付き合いやすい性格ではない。
知的で上品、優しく穏やかではあるが、頑固で利他の過ぎるところもあり、なかなか扱いにくい生徒だ。
おそらく男子から人気があるのは、朝比奈や見城の方だろう。
もちろん嫌いではない、むしろ好きな方だが、およそ10代の人間とは思えない成熟した物腰に、どうも気後れしてしまう。特に復学してきた年度の2学期くらいからは、遥か年上のような印象を抱くことさえ多くなった。

復学と言えば、天神を復学させた吉井もまた、素直で礼儀正しいが、頑固で底知れない雰囲気を持つ生徒である。
今まで考えたことはなかったが、天神と吉井は似た者同士なのかもしれない。
どこか他人の立ち入れない絆を感じるのは気のせいではないだろう。それは、朝比奈、佐野、見城を含めた、2年前の生徒会メンバーにも共通する。

ただ、“立ち入れない”と感じてしまうのは、自分が“教師”で“大人”だからでもあるのだろう。
かつて東郷という私立高校で、OBによる運営のクーデターが起きたとき、「学園は学生のものだ!」と叫んだ生徒がいた。その生徒のスピーチに当時は感銘を受け、今では少し寂しく思う。
学校で主役を張るには“場違いな大人”になってしまった自分は、未だに次の舞台を見つけられないでいる。
ひねくれた表現をすれば、教師は聖職者などではなく、永遠のモラトリアムだ。

かといって、それは不満というわけではない。
寂しいだけで、不満ではない。

学園は学生のものだ。
この翔武学園は、東郷高校に負けず劣らず、生徒の自治が盛んな高校だ。
それは生徒が自分たちで、ルールを決定し、ルールを改良し、ルールを遵守し、ルールを尊重するということだ。

10年ほど前、翔武学園の生徒会長は、「受験科目にデュエルを加える」ことをマニフェストとして掲げ、6月の高校対抗デュエル大会で優勝することを条件に、学校側へ認めさせた。
果たせるかな、その年度の大会で、翔武学園は見事に優勝の栄冠を手にした。

もちろん受験科目にデュエルがあるといっても、選択制である。
また、デュエル・アカデミアのように、デュエルだけで合否が決まるわけでもない。普通の受験に選択でデュエルを加えたということだ。

そして現在、翔武学園の決闘偏差値は70台である。
教師から生徒に至るまで、デュエルの心得が無い者は殆ど存在しない。
かつてデュエリスト能力者だった秋野はもちろんのこと、梅原など年輩の教師も“出来る側”に入る。
デュエル・アカデミアのようなデュエルの授業こそ無いものの、デュエルに関する部活が3つも4つもあって、それぞれが賑わっているほどだ。

「あ、始まりますよ。」

テレビの画面に、リアルタイムで会場の画像が映し出される。

デュエリスト能力を大々的に披露する、“お祭”。

―――決闘祭の、開会式だ。



◆ ◆ ◆



海馬瀬人は幼い頃に両親を亡くし、弟と2人、施設に引き取られた。
そこでの生活は決して良いものとは言えず、体の大きな子供らから暴力の捌け口にされることも多かった。
友達も出来ず、2人はゲームに没頭することが多くなった。

振り返ってみれば何故あの程度のことで・・・と思えるようなことでも、未来を知らない子供にとっては、不安と絶望が織り交ざった泥水を飲み続けるようなものだ。
それは弟のモクバにとっては、あながち比喩ですらない。施設時代から味覚障害の傾向が出ていた彼は、後に食事の“旨味”を足す為に、危険なギャンブルさえ行ったことがある―――それも、小学生にして。

大事なものがドロドロになるような気分の中で、思考は単純化されていった。
その頃から瀬人は3つのことだけを考えるようになっていった。

ひとつは弟モクバのこと。瀬人はモクバを守ろうとし、苦痛を分かち合った。
モクバもまた、兄の背中にピッタリくっつくことで心の安定を保った。

ひとつは負の感情。怒り、憎悪、復讐心。それは上昇志向や危うさ、冷たさや残酷さと深く結びついている。
これらが暴走したとき、彼は良心を失った。あんなに可愛く思っていたモクバさえ煩わしく思えた。
やがて1人の男に打ち負かされるまで、彼は酷薄で軽薄な人間であった。
そして1人の女と出会って、ようやく彼は未来へのスタート地点に立てた。

未来。
みらい、みらい、未来。

いつから未来にこだわるようになったのか、はっきりとは覚えていない。
まさか弟の味蕾がおかしくなったからでもないだろうが、弟と遊んでいたときから漠然と見据えていたように思う。

最後のひとつは、ゲームのこと。
その思いは、世界中の子供たちが楽しく遊べるテーマパークを作るという、絶対値では負の感情を上回るほどの、壮大な夢へと成長していった。
その夢が実現していくにつれて、彼を支配していた膨大な負の感情も、彼を構成する大事なピースとして心に嵌まり込むことを許されていった。

かつて闇遊戯は、「怒りや憎しみを束にしても勝てない」と言った。
だが一方で、彼もまた怒りや憎しみの強い人間でもあった。

誤解を恐れずに言えば、あらゆるゲームに負の感情は欠かせない。
それは戦術や戦略といったものだけではなく、根本的に動機の面で、そうだと言える。

世界が楽しければ、人生が喜びに満ち溢れていれば、ゲームに熱中することはない。
横柄に振舞って、楽で自堕落な人生を送っていれば、ゲームで強くなることは出来ない。

海馬瀬人は、意外に思う人もいるかもしれないが、横柄な人間が嫌いだ。
自分が良くも悪くも傲慢であることは誇りを持って認めても、横柄であるとは微塵も思わない。
ひとつ具体的な表現をすれば、海馬瀬人が反吐が出るほど嫌いな人間というのは、「チェスに負けたら腹いせに相手を引っ叩くような奴」である。

そういった傾向を持つ瀬人が、最も刺々しい時期、城之内克也という人物に出会った。
第一印象は「うるさいなぁ」と思った。
うるさい奴というのは、横柄な奴と似ている。だから馴れ馴れしく「仲間」と言われたとき、言葉に詰まった。そのときの悪寒を上手く説明するのは難しいが、最も近いのは、施設で体の大きな子供にプロレスごっこを強要されたときの感覚だろうか。

城之内が、確かに横柄な側面があるとしても、それを補って余りあるだけの美点がある人間なのだと、瀬人が認識を改めるまでには、しばらく時間を要することになった。
そして、自分と対等とまではいかなくても、いちデュエリストとして尊敬に値する人物であると認めた頃から、城之内の存在もまた、自分の人生の大事なピースとなっていた。

思えば城之内は、武藤遊戯と同じくらい第一次海馬ランドを楽しんでくれていたと、だいぶ後になって瀬人は思い出していた。
少なくとも、という但し書きが付くが、ゲームを子供っぽいだの何だのと馬鹿にする連中を相手にしたとき、城之内は自分の味方に属する人間だ。それは好き嫌いとは別の、厳然たる事実である。
今でも決して肌が合うとは言いがたいが、互いに敬意を払う間柄である。


そんなことを考えながら、海馬瀬人は開会の挨拶を手短に終えた。
豪快な笑い声とポージングは相変わらずだったが、高校生の頃とは違う落ち着きも感じられた。

もっとも、それは大人になったからというよりは、寂しさに似た感情のせいだった。
自分の年齢が今の半分くらいだった頃に、一世を風靡していたデュエリストたち。その殆どが、今この場にいない。
それは納得ずくのことではあるので、寂しさを感じるのは自分の未熟さの証明かと、瀬人は「ふぅん」と鼻を鳴らした。
あるいは、この寂しさも、自分を形成する重要なピースなのかもしれなかった。


《続きまして、インダストリアルイリュージョン社、名誉会長の―――・・・



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