佐久間闇子と奇妙な世界

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zoom RSS ストレスを武器に! 〜「サタニスター」に学ぶ活用術〜

<<   作成日時 : 2016/12/18 00:00   >>

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「ストレスが全て敵と思うのは間違いだ」(桜木健二)



「ゾンビ屋れい子」も面白いのですが、個人的な好みとしては「サタニスター」の方だったりする私です。
完結次第「血まみれスケバンチェーンソー」も買う予定。(この作者のマンガは一気読みして疾走感を楽しみたい)
25話のうち、バルキリー編3つ+バーサス・バケモノ編(本編)22で構成されていますが、
はっちゃけ度合と疾走感、キャラクターの魅力、そしてラストの泣ける展開・・・・・・うむ、名作である。

バルキリーは、その思想が面白い。
彼女は敢えて自分にストレスを与えることで、爆発的な戦闘能力を発揮することをモットーとしている。
それは子供の頃に体験した、ある出来事と深く関わっているが、事実それは強い。
いづみ最終形態を除いて文句なしに作中最強キャラであり、オカルトやSFめいた力を用いないのに無双。
ナックルスター、沢本いづみと並ぶ、第3の主人公と言っても過言ではないだろう。

リン・マーグリス博士も言っているが、大量の廃棄物があるとき、生き物はそれを活用することを考える。
耐え難いストレスに晒されたとき、逃れられないならばと、敢えてストレスに立ち向かっていく、その姿勢は、
太古の昔、“酸素”という猛毒に立ち向かって、見事に適応して高い戦闘能力を得た細胞に通じるものがある。


生きている限り、ストレスからは逃れられない。耐え難い。死にたい。死にたい。
迫害を受けた人への配慮や、精神病者への配慮を求めても、現実の前に、すり潰される。どうしようもない。
しかも多くの“善人”たちは、自分は他者へ最低限の配慮はしていると考えているようで、
もはや“配慮”という言葉の意味が、我々と彼らとで異なっているのだろう・・・。

例えば「めだかボックス」黒神めだかは、迫害された人の気持ちを無視する典型的な“善人”である。
私から見れば、正しくもなんともない―――正しくあろうとしているようにも見えない。
まして“正しすぎる”という形容は、似合わない服を着せられているようにしか見えない。

現実の酷さを浴びせ続けられて、歪みまくって性根の腐った今では、黒神めだかは
かなり上品な方に属すると理解できているので、あまり目くじら立てるようなことではないが、
“正しい”頃の私なら、「その“貴様”呼ばわりを即刻やめろ」と言っただろうと思う。


それを神経質と評するのは間違っていないが、いじめ被害者の幾らかは、そうした性質を帯びてしまう。
元から神経質な部分はあるが、迫害を受けることで病的なまでに増幅してしまった成れの果てである。

「ゾンビ屋れい子」も含めて、いじめ問題に多少なりとも向き合っている作者は、被害を受けてきた人だろう。
敵がいると張り合いが出るタイプだと自身を評しているが、それは被害者に宿る凶暴性そのものであり、
三家本キャラの凶暴性であり、私にも備わっている凶暴性である。ゆえに愉快なのだろう。


世の中は、配慮の足りない“善人”で満ち溢れている。
いじめ問題に関して、日本の左翼がどれほど頼りにならず、無知・無理解・無神経の塊かは言うまでもないが、
別に左翼だけに限ったことではなくて、環境の大半が同じような状況だ。
スーパーに買い物に出かけても、店に入っても、歩いていても、うるさいうるさいうるさい死ね死ね死ね死ね死ね

・・・落ち着こう。

どれほど殻に籠もったところで社会と無縁ではいられないし、社会と無縁に生きるのは「サバイバル」だ。
四六時中、気を張り詰めているのは難しく、緩慢な精神状態のときに受けたものを融かすまでの数日間、
耐え難い苦痛に悶えながら、叫びを繰り返し、胃液を吐き、幻覚と幻聴に苛まれ、気が付くと首や肩が痛くなる。

融かしたと思えば、また次のストレスを浴びることになり、再び地獄の数日間が続く。その繰り返し。
こんな人生に価値はあるのか? ひたすら苦痛の繰り返しで、ろくに好きなことも出来ない。死にたい死にたい。
「人生は無意味で無価値だ」と言う球磨川禊の言葉には、どれほどの苦痛が込められているのだろう・・・。


耐え難い苦痛を起爆剤とすることは、決して幸福ではない―――それを踏まえて、逃れようもないストレスに
晒され続けている場合、それを起爆剤、劇薬として、行動することは、選択肢として覚えておくべきだ。

「考え方を変えてみる」とかいう類の、馬鹿げた妄言ではない。あくまで“行動”が重要である。
耐え難い苦痛に対して、考え方を変えたところで事態は何ひとつ良くならないし、
そもそも根っこの部分を変えられるものでもないだろう。(あるいは変えようとして変調をきたす)
「ドラゴン桜」においても、受験勉強に関する考え方は変えられるが、好みや美意識など根本的なことは
自分と近しいものを(無意識的にでも)選択していると述べられている。まったく同意見だ。

私の場合は、執筆。
繰り返すが、重要なのは“行動”である。

史的唯物論(生きた唯物論)を齧ってる人には言うまでもないことだが、
全面性と具体性に加えて、運動と実践によって意識や人格は規定される。
精神状態を良好に保ちたければ、それは“行動”によってしか成し得ない。

作中においてバルキリーは殺人という“行動”でストレスを活用しているが、
私の場合も“殺人”を“執筆”に置き換えただけであり、人間性は大差ない。
倫理的な意味で殺人をタブーとする感覚は、とっくに失われてしまった。(歪んだ大人)


耐え難いストレスに苛まれている私は、わざわざストレッサーを求めることはないが、
しかし私も敵がいる方が張り合いの出るタイプなのだろうか・・・?
そうではないような気がするが、敵を前にすると歯止めが利かないタイプではあるだろう。(被害者の凶暴性)

よく、スプラッター表現のあるマンガは、子供の凶暴性を助長すると言われ、槍玉に挙げられる。
それが正しいのかどうかは定かではないが、少なくとも私の場合は逆である。
自分では歯止めの利かない凶暴性を、こうしたマンガを読むことで抑えられている。ありがたいことだ。

「加害者は再起不能にしてから許すべきだ」という思想も、私からすると生温いのだが、
しかしながら現実的に考えると、このあたりが妥協点かもしれないと思えてくるのが、作品の持つ力だ。

いじめ被害を軽く見る部分も、ちょっと相容れないと感じるが、
軽く見ているというよりは、「見世物にされたくない」というニュアンスがあるから、許容できるのだろう。

被害者が苦痛を訴えると、それを面白がられることが少なくない。
ならばいっそ、「大したことねえよ」と吐き捨てる選択をするのも、共感こそしないが理解できるというものだ。


整合性に欠けると評されることもある「サタニスター」だが、しかし通して読むと、けっこう一貫性がある。
牛乳だったり人肉だったりドリルだったり、スイッチでメタモルフォーゼしたり、何故か料理対決になったりと、
確かに断片的には、いかにも思いつきで飛ばしているように見えるのだが、テーマはブレていない。
概ね計算ずくだと思うのだが、センスに任せて飛ばしているとしたら、それはそれで凄い。(いわゆる天才)

あくまで私見だが、この作品のテーマは“継承”であると思っている。
ナックルスターとは相容れない部分も多いのだが、自らの内臓を抉る場面は何度読んでも泣ける・・・。
行為自体はイカれてるんだけど、背負ってきたものを託す場面として、
そして彼女の吐く綺麗事が口だけではない証左として、なかなか感動させられる。

沢本いづみとは、いろいろ違う部分はあるにしろ、親近感を覚える。(眼鏡も含めて)
いじめ被害者であり、暴力的な導きによって覚醒していく過程は、なかなかのカタルシスだ。
彼女にとってのナックルスターが、私にとっての佐久間闇子ということになるだろう。


ちなみに私の好きなキャラは、ハンスだったりする。
言ってることは狂ってるんだけど、このマンガ頭おかしいキャラしかいないので、むしろ正常。(言葉の迷走)

作品全体を通して言えるけど、
殺伐とした中にギャグを混ぜてくる手法、嫌いじゃないぜ。いやマジで。

関よしみとかの徹底的に背筋が凍るタイプのホラーも当然好きですが、
ホラーとギャグの相性の良さは言うまでもない・・・。


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