将棋人口は囲碁の4倍?

あらためて留意しておくが、
囲碁・将棋の競技人口は「1年に1回以上の対局」で
定義されているので、かなりの幅がある。

加えて、一過性の“ブーム”で急増した部分のうち、
どれほどが継続して競技者足り得るかは
冷静に見ておかねばなるまい。

過剰な期待が良くないのは勿論だが、
過度な諦観も良くない。
特に私などは後者を意識した方がいい。

ブームは決して悪いことではない。
動機、切っ掛けは何であれ、
のめり込んだら皆プレイヤーである。

思えば私などは、およそ動機らしい動機すら無かった。
なんとなくで始めて、なんとなく続けているし、
趙治勲への憧れ、ミーハー精神は言わずもがなだ。


・・・さて、そうした前提を踏まえて、
しかし日本において、将棋は囲碁より
競技人口が多いことは間違いあるまい。

トッププレイヤー、すなわちプロ棋士の層は
いずれも重厚であるが、アマチュア層は?

詳しいデータが見つからないので
かなり当て推量が入ってしまうが、
中間層を比較すれば4倍どころではあるまい。


将棋は棋院や道場に行かなくても
小学一年生の頃からライバルが存在していた。
ひとつ年上の先輩で、最初は全く勝てなかった。

私の将棋における意識改革は、
その先輩から学んだと言ってもいい。

「駒を取るゲーム」から「敵玉を詰めるゲーム」に。

この段階に達すると、将棋は一気に面白くなる。
中間層を定義するなら、これが相応しい。


同じような転換点は、囲碁にもある。

「石を取るゲーム」から「陣地を比べるゲーム」に。

しかし実際、この段階に達するまでのハードルは
囲碁の方が将棋より高いのではないだろうか?

将棋は15級からだが、囲碁は30級からであるのは、
この推測を裏付ける根拠のひとつであるように思う。


加えて、将棋は「駒取りゲーム」でも
10級くらいまでは容易に到達できるが、
囲碁は「石取りゲーム」のままで10級は難しい。

アゲハマ1個と、持ち駒1歩では、全く価値が違う。
所感で言えば、代償なき1歩得は(特に序盤は)
控え目に言ってもアゲハマ10個分以上の価値を持つ。

ゲーム性が違うので単純に比較は出来ないが、
それほどまでに将棋において“駒得”は重要だ。
取った駒を使えるという性質が、これに拍車をかけている。


転換を具体的に解説できればいいのだが、
振り返ってみても、私自身どうやって囲碁が
この段階に達したのか覚えていない。

確か8歳か9歳の頃に、母親から手ほどきを受けて、
10歳くらいの頃には3級まで辿り着いていたので、
いわゆる“10歳の壁”突破に統合されていると分析する。

元々、物事を抽象化して考えるのが得意だったが、
10歳の壁を越えたことで、より研ぎ澄まされた。
高校生になる頃には、アマ四段に達した。


具体と抽象。

この違いが、入り込みやすさの差を生み出している
要因の1つであるのは疑いようもない。

将棋と囲碁を比較した場合、特に入り口は
将棋が具体的、囲碁が抽象的な部分が多い。
ざっくり言えば、碁石は並べないと個性が出ないが、
駒は単独で個性を持っている。

ゆえに将棋の方が往々にして覚えやすい。
基本的に、碁打ちは将棋も指すことが出来るが、
囲碁は打てない将棋指しは珍しくもない。
チャトランガ全般で言えば世界共通だと推断する。


囲碁も将棋も、敷居は低いし、奥深さは果てしない。
しかし、面白くなる箇所へ到達するまでの道程が長いほど、
どうしても競技人口は少なくなる。

競技人口が少ないと、対局相手に難儀するし、
まして同格の好敵手など望むべくもない・・・。




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この記事へのコメント

豆戦士
2019年11月07日 00:45
「将棋っぽいゲーム」は山のようにある一方で、「囲碁っぽいゲーム」はあんまりない。
ほとんどすべてのTCGも、すごく雑な言い方をしてしまえば「将棋っぽいゲーム」だ。

たとえば「飛車をただで捨てた」って言えば、「飛車=強い駒」という前提さえ把握していれば、「神を生け贄に捧げる」みたいなことであるのは容易に伝わる。しかし囲碁だと難しい。

……みたいな話は大きいんだろうなぁと思いつつ、そもそも囲碁って、ルールが難しすぎやしないかと思う豆戦士です。

具体的には「いつゲームが終わるか」があまりに難しすぎやしませんか。

「石を置くと即座に相手に取られてしまう場所には置けない」というのは、明快かつ厳密なルールだし、簡単にわかる。
しかし、「黒石で囲われたエリアに白石を置く」こと自体は禁止されていない。

多くの本などには、「そこに打ったところで、相手も打ち込んできて、結局石をとられてプラマイゼロになるので、打つだけ無駄であり、ゆえに皆打たない」的なことが書いてありますが、

・相手が適切な対応をしたときに限るなら、失敗を期待して打つのは真っ当では?
 ・実際、初心者対決では普通にお互い間違う
・むしろ、適切な対応をされてもプラマイゼロなら、打ち込むことに得しかないのでは?
・というか、「あらゆるケースで相手が適切に対応するとプラマイゼロになるor損する」って全くもって自明ではないので、証明くださいよ……。

みたいなことを、小学生の豆戦士さんは思ったわけですよ。

実際、相手も初心者の場合、いつ終局するのかまじでわからない。
どうやら、どちらの石にも囲われてないエリアが残っている状態でも頻繁に終局するらしいが、えっそこ実際に打ってみないとどうなるかわかんなくね!? ってなる。

的なところは意外と大きいんじゃないかなーと思ってる豆戦士です。
豆戦士
2019年11月07日 00:49
>プリチャン

これ、完全に、まりあさんに耳に息ふきかけられたから、かわいい語が分かるようになりましたよね!?

--------

……プリチャン勢、負けたところでショック受けて落ち込むような弱いメンタリティの持ち主がそもそもあんまいないからなぁ。

あんな様は勝敗にはめっちゃこだわりますが、負けを受け入れる度量の深さありますし。さら様も同様に大人。めるめるはめるめる。

みらいちゃんやりんかちゃんも、勝ちたい気持ちがないとは言わないものの、比較的フラット。
えもちゃんはあんな様に負けたら曇るかもですが、相手の発破かけもあってたぶんシリアスには陥らない。

金森まりあはかわいい。

というわけで、すずちゃんなわけですが、
万能のめるめるにあらゆる面で負けたときはそこまで曇らなかったのに、さら様に負けると……なあたり、実にいい味を出しているなぁと思う豆戦士です。
アッキー
2019年11月07日 22:02
>豆戦士さん

終局の判定が難しい。それも大きいですね・・・。
これが将棋だと「敵玉を詰める」(あるいは取る)のは明白で、TCGの「相手のLPを0にする」「サイドカードを取り切る」なども同じく分かりやすい。

厳密なゲームロジックとしては、位相幾何などが絡んでくるので、分かりやすいとは言い難い・・・。


とりあえず、終局の根拠として「無駄だから」を挙げている本は、個人的には、あまり信用できないですが。
(「ヒカルの碁」が信用できない理由の1つでもある)

言ってる意味は分かるけれど、うーん・・・。
むしろ、打ちこんで得をする手が残っているのに、そのまま終局してしまうのも、同じくらい初心者あるあるでは?

相手の失敗を期待する是非はともかく、相手が適切に対応しても得する手からして、普通に頻出するので。(敵石に囲われた領域でも)


>どちらの石にも囲われてないエリアが残っている状態でも頻繁に終局するらしいが

これは、お互いに分かりきっている者同士で対局する場合に限りますね。
アマチュアだと最後まで打つことの方が多いはず。

プロの終局図になると、私でも並べないと分からないのが多いよ!(泣



アッキー
2019年11月07日 22:02
>まりあブレス
・・・!?
まりあさんの吐息には、やはり洗n、翻訳効果があるようで!


すずちゃんは強敵に挑戦するのが似合う子。
しかし考えてみると、めるめるにリベンジするとかではなくて、キャラが被っ・・・もとい、方向性の似ている先輩に対抗心を燃やしている、という構図でもあるのか・・・なるほど・・・(深読み開始

落ち込みと言えば、めが姉ぇさんはディアクラウンに(局地的に)負けたときに(勘違いで)落ち込んでましたが、それも以前の話。

そもそもの前提として、勝敗に、恋愛や生命活動、金銭、社会的地位、世界の破滅などが関わらない、健全な世界観ですからね!


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