囲碁・将棋の思い出 エピソード2 塾の後輩

周囲に碁が打てる子供がいない。
かといって当時の私は小学三年生。
親としては、1人で碁会所に通っても良いとは
とても言えなかったようで、
囲碁の塾は当初、単なる“つなぎ”でしかなかった。

碁会所の代わりであり、
囲碁を打ちたくて来ているので、
講師との間に最初からズレがあったのは否めない。
あまり宿題を熱心でなかったことを白状しておく。

言い訳をさせてもらうと、
何故それが“正解”(あるいは“不正解”)なのか
どうにも納得できないまま、量だけが出されるので
嫌気が差したという側面はある。

算数、数学の、“かっちりした”ところが好きで、
ある意味で囲碁や将棋が好きなのは、
数学好きの延長にあるのだが、
それゆえの相容れなさでもあったように思う。

今でも根本的には変わってないが、
特に小中学生の頃は、国語や英語という教科の、
きちんと答えが定まらないような曖昧さが
嫌で嫌でたまらなかったし、
数学的であればあるほど興味関心を抱いた。

囲碁を打つのは、数学の問題を解くのと同じく、
貴重な娯楽であった・・・。


言い訳から入っているが、
トータルで言うと塾は心地良かった。
講師との関係は友好的と言えるものであったし、
学校のような差別的な扱いや迫害などは微塵も無く、
程良い息抜きが出来る空間であった。

特に印象深いのが、後輩のIという男子だ。
(そこ、また男子かと言わないw)

確か私が小学三年生か四年生くらいの頃に、
小学一年生か二年生で、塾に入ってきた。
こちらは大人しく寡黙なタイプで、
先生に言われて相手をすることになった。

星目を置いても、まだ私が圧倒的に勝ったので、
ここで話が終わっていれば、
今このような印象深い後輩としては残らなかった。


1年か2年後。

そろそろ塾も潮時かと思い始めていた頃に、
I君と再び対戦することになった。
手合いは5子と言われたので、
ははあ、以前は9子でも相手にならなかったが、
そこから私と5子で打てるまでに成長したのかと、
後輩の成長を喜んでいた。

すると先生、私の方に黒石の碁笥を置く。
何かの間違いじゃないのかと思いながらも、
打ってみると、圧倒的に負けた・・・。

余裕かましてる場合ではなかった。
当時の私はアマ2級というところだが、
それを5子でやっつけるのだから、
アマ四段以上の棋力は有にあったと思う。

プロの指導というものは、
ずぶの素人を1年や2年で
ここまで成長させるのかと驚嘆した。


今から考えてみれば、
おそらく院生を目指していたのだろう。
それでも今現在、プロ名鑑の中に
彼の名前を見つけることは出来ていない。

30級から、2年足らずで院生になるのは、
まったくもって珍しくない―――そんな世界なのだ。

なんにしても当時は、マンネリ打破としての刺激、
塾を辞める前に、良い思い出が出来たと、
そんな気持ちでいたものだった。

悔しいと思うからこそ、強くなる。

停滞していた私の棋力は、その頃から再び動き出した。
相手を見くびった挙句に負けた恥ずかしさを胸に、
2級から1級へ、そして中学生になる頃には
アマ初段として通用するまでになった。


将棋においてN先輩がいたように、
囲碁においてはI君の存在が、
私にとって重要な転機を齎してくれたのである。





ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント

2020年11月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30               

過去ログ

テーマ別記事

最近の記事

最近のコメント

QRコード