降ろした荷物は我が血肉

不幸とは、好きなマンガの最終回を読めないことだ。
何年も連載を追ってきた作品は、
もはや身体の一部と化しているのかもしれない。


「進撃の巨人」が連載終了して、
しばらく虚脱状態になるかと思いきや、
割合すぐに日常に戻った。

感受性が鈍くなっているのかと嘆いたが、
どうやら虚脱が意識とリンクしにくいだけで、
きっちり虚脱状態にあるらしい。(今も)
高気圧だというのに物凄い疲労感だとか、
控えめな生活を心掛けているというのに
前にも増して生活リズムが変調をきたして、
胃が痛かったり腕が痺れたりする。

ある意味これは、大人だからだろう。
抱えている情報量が多すぎると、
ひとつひとつの処理時間が短くなり、
あたかも無いように見えたりするが、
速くなっただけで、厳然と存在している。


スキゾイドは傍から無感動に見えやすいらしいが、
それは脳内が豊かであるのと無関係ではあるまい。
トレードオフなのではなく、早回しなのだ。

そして早回しなのは頭の中だけで、
肉体の所作は悍ましく後れを取るので、
ますます無感動に見える。

しかし自分でも虚脱を認識しづらくなるとは、
ますます傍からは分からないよなァ・・・。
対面の会話はネットよりも伝わりやすいというのは、
あながちネット否定派の妄言ではなく、単純に、
スキゾイド対面<<ネット<<常人対面、
という話かもしれない・・・。


・・・よし、やめよう。
この考え方は希死念慮に人格を支配されかねない。
未練が減っても死にたいわけじゃないからね。

それよりも、素直に考えよう。
感受性は鈍ってなどいなかったし、
「進撃の巨人」は自分の心に
深く根を張っていたのだと、喜んでいいんだ。




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