「少年マンガ」と「少女マンガ」の境界

なんて誰にもわかりゃしねえのさ!(バクラ風


以前、「少年マンガと少女マンガの定義とは?」みたいなテーマで議論したことがあったのですが、しょっぱなから母親が「少年誌に掲載されたものが少年マンガで、少女誌に掲載されたものが少女マンガだ」と、みもふたもない答えを出してきましてクソワロタwww

まあしかし、あらためて定義を考えると、難しいですね。
そのときの議論は妹も交えてやってたわけですが、掲載雑誌以外の真っ当な定義が出来なかったという。

何となく、「少年マンガっぽいもの」「少女マンガっぽいもの」という感覚はあるわけですが、さて実際に定義するとなると難しい。

それは例えば、「自然数の定義とは?」と、あらためて言われると言葉に詰まる人が多いのと似てるかな。
「1、2、3・・・が自然数だ」と、“例示”は出来るし、ただ“唱えて”いるわけでないのはハッキリしているけれども、あらゆる自然数を内包する“定義”は割と難しい。

まして、マンガのジャンルという、主観の大いに入り込むような問題で、明確な定義など出来るはずもなく・・・。
そういうことを前提にして、まあ曖昧に何となく、楽しくダラダラと語る感じです。


時折こういうことは考えるわけですが、今回は「一の食卓」で再燃したような。
発売前から情報を得ていたにもかかわらず、発売から5ヶ月も経った8月に買ったのは・・・まあ、「ヴァムピール」を休載して浮気してやがるな、って気持ちもあったのですが、それはサブの理由。

私にとって斉藤一という人物は、「るろうに剣心」のイメージが強くて、それと反してたら嫌だなァ・・・と。
いくら樹センセーといえども、どうなんだろうという不安があり。

まあ実際には、それは杞憂でしたけどね! 流石は樹センセーだよ!
るろ剣のイメージを崩さないで、しかし媚びていないという、素晴らしい出来だよ!
第一話ことごとく、きちんと左手なのに、第二話の扉絵、何故に右手なのかと思ったら、そういうことかと。

聴覚による“心眼”とかも、るろ剣ファンとしては、たまらないものがあるよね!
異常聴覚を自慢していた宇水さん涙目・・・いや、目は無くなっているんだけど、あのとき零式が決まった理由もわかろうというもの。見えないのはお互い様なのに、斉藤の攻撃がクリーンヒットしたのは、そういうことよね!

デザインも、きちんと樹センセーの絵でありながら、きちんと斉藤一であるという。
あの触角のような前髪がポイントなのですよ! わかってらっしゃる!

まだ西郷が生きてたり、川路とか岩倉とか出てきたり、色々たまらないわー。
2巻では大久保とか、モチーフの方の左之助も出てくるしな! 山縣も。
いやー、やっぱ大久保はこの顔だよね。

ちなみに28歳というと、るろ剣本編の剣心と同い年なんですねぇ。
るろ剣は“3歳刻みの法則”があるみたいで、弥彦10歳、操13歳(実年齢は16だけど、作者はデザイン含めて13歳くらいの感覚で描いている)、薫16歳、左之助19歳、恵22歳、蒼紫25歳(前後)、剣心28歳、志々雄31歳(前後)、斉藤34歳(前後)・・・師匠も43歳ですし。

何が言いたいかというと、当然ながら斉藤にも剣心と同じ年齢の頃があったわけで。
るろ剣では斉藤の方が年上なこともあり、剣心の足りない部分を補っている、兄貴のようなイメージがあるわけですが、それだけに28歳の斉藤一とか新鮮だわー。
話も相変わらずの樹なつみクオリティなんだけど、やっぱり私としては、所々るろ剣を想起させる部分にニヤニヤしっぱなしですわー。


話が脱線しまくっていますが、別に無関係なことを語ってるわけではなくてですね・・・。
るろ剣は「ジャンプの少女マンガ」と呼ばれていたわけですが、樹センセーのマンガも、よく「少女マンガを読んでる気がしない」と言われるみたいです。

これらの評価は、ともすれば誤解されそうなんですが、れっきとした褒め言葉で・・・少なくとも私は、肯定的な意味で捉えています。

というのも、“枠”の問題なんですね。
“少年マンガ”とか、“少女マンガ”とか、そういうのって“枠”なんですね。
最初から箍の外れたものは論外なんですが、型破りな作品は好き・・・少年マンガと少女マンガの垣根を越えた(超えた)ようなものが好きなんです。

個人的に・・・と言うのもアレですが、ゴリゴリの少年マンガは、面白くても苦手な面があります。
なんというか、男性的な価値観を押し付けられているように感じるんですね。いや、それを差し置ける面白さがあるから読むわけですが。
それは、裏を返せば、ゴリゴリの少女マンガが苦手というか、女性的な価値観の押し付けみたいなマンガも、何だかんだで苦手で・・・母親とか妹は、私より更に、その手の“少女マンガ”が苦手だったりします。叔母とか私と違って、明確に嫌ってさえいるのかな・・・。

それで話を元に戻しますが、和月センセーの作品は、そうした男性的な価値観の押し付けが少なく、樹センセーの作品も、いわゆる“女の甘え”みたいなのが見受けられない。
いわゆる“少年マンガ”や“少女マンガ”の、私の気に食わない側面を切り捨てたような良さ、それが先程挙げた評価の意味だと捉えています。

言わずもがな絵柄も。
思想的なことばかり語りがちですが、絵柄も外せないところです。
るろ剣に比べると「武装錬金」は少年マンガ寄り(内容も)なのですが、「エンバーミング」から再びかな。
樹センセーの絵柄がハード寄りなのは、更に言わずもがな。いわゆる“キラキラの少女マンガ”と比べると瞭然。

叔母や私は、キラキラした絵でも平気ですが、母親と妹は苦手っぽい。
そういう苦手意識は、私自身は薄いですが、わかりますねー。好みとはズレているので。


幼い頃から、ゴリゴリの少年・少女マンガも、境界に位置するマンガも、数多く読んできましたが、好みに合ったのは境界の作品でした。
それは自分自身が境界人的な気質を持っているからでもあるのでしょう。

私が素敵だと思う男性や、カッコイイと思う女性って、何か世間的には煙たがれる傾向にあるんだね。
それは創作でも、男性的価値観や女性的価値観の色濃く出ているあたりには、よく感じるという。
理想とする男性観、女性観が、人と一致した経験は無いなァ・・・。
まあそれはオリジナリティーということで、前向きに捉えることにしよう、そうしよう。
頻繁に他人と感性が一致するようなら、創作なんてやってねーよってことで。


とりあえず、注文してた本も届いたので、また読書に没頭するよー。
さーて、何から読もうかな(ウキウキ
(夏期講習のせいで、最近じっくり読書できる環境が無かったという)


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