佐久間闇子と奇妙な世界

アクセスカウンタ

zoom RSS 「ドラゴン桜」は参考書として読め! (その2)

<<   作成日時 : 2009/04/12 00:08   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2

<2>日本は平和ではない

勉強合宿で、矢島は途中で放棄して夜の街をぶらつく(2巻)。桜木が説得に当たるが、そこで桜木は「今の平和な日本で一般市民がそんな人間性を迫られる局面はごく希だ」と主張している。また、芥山は「大多数の人は健全な社会生活を営んでいる」と主張している(7巻)。
つまり、「ドラゴン桜」の世界とは、「平和な日本」という非現実の世界なのである。現代日本の実態を知る者からしたら、「こいつら馬鹿だろ」と思えて仕方がないだろうが、そこはマンガのご都合主義ということで目をつぶるべきだろう。これは受験マンガであって、社会派マンガではない。ただし、そういった観点を持って読むべきではある。
理不尽が横行し、失業者が溢れ、苦しい生活を送っている人々が多く存在し、餓死者も出る。なるほど、日本は実に平和だし、大多数の人間は健全に暮らしてますなあ・・と嫌味の一つでも笑って言ってやろう。



<3>身の丈に合ってないのはお前の方だ

上の話と関連するが、高原は龍山高校の進学校化に反対する(1巻)。そこで「一人一人の個性を尊重し、人間性と思いやりの心を育む学校」にしたいと主張する。なるほど、素晴らしい。しかし、具体的な事が言えないから、桜木に言い負かされてしまう。
何故、具体的なことが言えないか。それは、ぶっちゃけ日本の教育レベルが低いから。高原の主張するような学校など、帝国主義本国・日本では夢物語に過ぎない。ここは日本だ。キューバではない。だから桜木“ごとき”が幅をきかせる。私“ごとき”が平均よりも少し高いレベルに位置する。
高原の主張する教育は、非常にレベルが高く、今の日本のレベルでは不可能。かえって生徒の学力を損なうだけである。日本では夢物語であるこの理想を、具体的な実績で実現させているキューバは見事という他はない。
私は民族主義者ではないが、日本で生まれ育った人間として、日本の学力水準の低さを憂える。かといって、いきなりキューバのようなレベルは不可能。社会形態が根本的に違うからだ。日本の現状の身の丈にあったところから始めるべきで、キューバの猿真似では破綻が来る。
キューバも最初からあのような高学力だったわけではなく、現実から出発して理想に近づいていったのだ。理想から出発して現実をそれに合わせようとするのは、似てるようで180度違う。高原は単なる理想主義者の域を出ていない。だから桜木が光る。私が桜木を高く評価しているのは、現代日本の身の丈にあった主張をしているからだ。もっとも、作中の世界はリアルな現代日本ではないわけだが・・。かといって全くの作り事ではないので、論点を外してはいないだろう。
理想結構。理想は高ければ高いほど良い。高原の理想などまだまだ低すぎる。理想はもっと高くなくてはならない。しかし、それに近づくための“具体的な”実践を行わなければ、単なる青臭いひよっこである。まあ、私も人のことは言えないがね・・・。



<4>詰め込みこそ真の教育である

これは柳先生の言葉である(1巻)。まさしく教育の核心を突いている。「ゆとり教育」の弊害が叫ばれる中、体罰を肯定する馬鹿も出てきているが、かといって「ゆとり」を肯定する人間が正しいかと言えばそんなわけはない。必要なのは体罰でも「ゆとり」でもない。“詰め込み”である。
「ゆとり教育」は詰め込み教育を否定した。従来の反復練習(計算、漢字、音読など)を根こそぎ排除していった。詰め込み教育が生徒の健全な発育を阻害してきたからだというのだ。その結果、小学校で基礎的な学力を身につけることが出来なかった生徒が大量に出現し、苦しんでいる。
「ゆとり教育」の弊害はそれだけではない。そもそも「ゆとり教育」と言われているものの中身は、小中学校のゆとりであって、高校生にとってはおぞましいことになった。小中学校の内容を薄くした分が高校に押しつけられ、しかも大学からも一部流入がある。小中学校でろくな学力を身につけることが出来なかった生徒は、高校で過酷な経験をする。
責任のおよそ95%は文科省、それと、1クラスの人数を増やそうとしているどこぞの馬鹿者など、素人判断で教育に口出しする連中にある。残り5%は教師の責任。生徒には一切の責任は無い。生徒のやる気の問題だと主張する井野を桜木がクズ教師呼ばわりしたのは、そういう意味合いが含まれているように思える。
本題に戻るが、詰め込み教育とは何か。おおよそ、反復練習だと思って差し支えない。教えるのではなく、教え込む。詰め込み教育が敵視されるのは、かつての詰め込み教育が体罰を伴う物だったから。それと、詰め込みをやり過ぎた部分があったから。体罰は論外として、当然だが何事もやり過ぎは良くない。桜木も言ってるが、バランスが悪いと学力は伸びない。遊ぶ時間まで削って勉強し、中学受験で進学校に受かった生徒によく見られるのだが、大学受験で浪人すると学力が下がる。普通は学力が上がるか、少なくとも維持されると思うだろう。しかし、こういう手合いはいったんポキリと落ち込むと、そのままどこまでも下降する。穴だらけの袋に水を入れるように、頭から知識が抜け落ちていく。もちろん全員がそうではないのだが、こういう例が珍しくないことは知っておかなければならない。
詰め込み教育のやり過ぎはそういう結果を招くわけだが、だからといって「ゆとり教育」は更に劣悪だった。極端に「ゆとり」に傾いた。言わば、「ゆとり」のやり過ぎ。何事もやり過ぎは良くないというのは、こちらでも当てはまる。2巻の最後の方で高原が言ってたことは、一般論としては正しいかもしれないが、極端が過ぎるのだ。今の中学生は悪しき「ゆとり」の毒がたっぷりしみこんだ世代。彼らを憐れと思い、このような事態を作り出した連中に怒りを覚える。
怒ってるだけでは意味がない。取り返しが付かないと嘆いていても意味がない。現状を肯定的に理解し(現状を肯定しろという意味ではない)、対策を立てなければならない。具体的には計算練習、漢字の読み書き、英語・古典の音読。だらだらとやってたのではどうしようもないので、計算練習と漢字は時間を区切って行う。時間制限を設けると、問題の難易度が低くても満点は困難だと説明する。それによって、プライドを保たせてやる。生徒のプライドを尊重するのは大事で、さもなくばひたすら生徒を惨めにさせるだけである。特に、学力の低い生徒の多くは信じられないくらい惨めな思いをしている。教師の側はそれを理解しなければならない。要するに、無神経な人間は生きていく価値はあるが、教師としての価値は無い。私もあまり人のことは言えないが。
英語、古典の音読は、追い読みが重要。作中でも触れられているが、特に最初の方では重要。教師が読んで、生徒が続けて読む。それを繰り返す。私が中学生の頃は、国語は毎時限漢字の小テストがあり、英語は毎時限教科書の音読があった。人格はともかく、このやり方は尊敬に値する。逆に言えば、たいした能力のない教師でも行うことの出来る方法だということだ。
他にシステム的な問題はあるが、とりあえず内容面での対策ははっきりしている。ひたすら反復練習。それだけでも相当改善する。ただし、説明など細やかな配慮を忘れてはならない。「人並みに」計算が出来るようになるには、とりあえず100回反復すればいいのだが、どのようにして生徒をやる気にさせるかが問題なのである。



<5>「ドラゴン桜」最大の名言

「いいか・・・・・・人間社会で無事平穏に生き抜くこと・・・・・・これ自体が難しいんだ。それに比べりゃ・・・・・・東大入るなんて楽なもんよ!」
1巻で桜木が水野に向かって言ったセリフである。
これがあるから私は桜木を高く評価しているのだ、と言ってもいい。私の文章を読んでいると、桜木を誉めてるのか貶してるのかどっちなんだと疑問を持つかもしれないが、両方である。観点や視点が違えば評価は違う。当たり前のことである。いろいろと性格に問題のある彼だが、トータルでは高く評価している。
「ドラゴン桜」は、平和な日本という仮想現実の世界を描いた作品だが、このセリフは現実世界でも重い。いや、現実世界でこそ重い。大ゴマを使っているし、このセリフは作者のリアルな感覚を表していると思う。今の社会で無事平穏に生き抜くことが出来る人間は、どれだけいるだろうか。まあ、流石に数だけならば東大生より少ないなんてことはないだろうが・・。
ちなみに、「ヒカルの碁」のセリフで「合格より高い目標を持てば合格など後から付いてくる」というものがあった。阿院先生も“二重目標”を主張している(12巻)。社会で無事平穏に生き抜くことを目標にすれば、東大合格など後から付いてくるということだ。
もっとも、無事平穏に生き抜くことが難しい社会は歪んでいると思うが・・・。それはまた別の問題になる。



つづく

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
こんばんは。
えっと、、、おっしゃるように、教育の基本は、「詰め込み」だと思います。
それは、教育心理学でもそう言ってる、と記憶します。
問題は、勉強を(つまり反復と詰め込みを)「楽しい」と思えるかどうか。
学校の教師で、「勉強はつまらないもの」と公然とテレビで口にした人がいて、
私は唖然としました。私は勉強は楽しかったですよ???
教える者が、「こんなものつまらない」と言っていて、子供に何が教えられるでしょうか・・・
勉強とは、本来楽しいもののはずです。それをいかに子供にとって、「つまらないもの」から、「楽しいこと」に変えられるかが、教師の力量だと思います。
とちの木
2009/04/12 22:52
とちの木さん、こんばんは。
そうなんですよね、いかにして生徒のやる気を引き出すか。教師の力量が一番問われるところではないでしょうか。生徒がやる気になれば、自分で勉強する。生徒は勉強することが楽しくて、教師の負担も減る。いいことずくめですね。
生徒のやる気は生徒自身の問題ではなく教師の問題なのですが、どうも教師の中にはそれがわかっていない人間も多いようです。教え方が下手なのはまだいいのですが、それを棚に上げて生徒に責任転嫁するのは教師失格。職業倫理ですね・・。
私も勉強は結構楽しかったです。特に数学は「勉強」という意識は殆ど無くて、「趣味」でしたね。化学や物理はもちろん、生物や地学も好きでした。国語も社会も・・。美術や技術も楽しかった。考えてみれば、はっきりと嫌いな科目は体育くらいですね。それも中学までで、高校や大学での体育は楽しかったですねー。小中学時代に精神が崩壊しなかったのは、そのおかげもあるかもしれません。ちょっと良い気分。
アッキー
2009/04/13 00:20

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
「ドラゴン桜」は参考書として読め! (その2) 佐久間闇子と奇妙な世界/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる