佐久間闇子と奇妙な世界

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zoom RSS 芸術を生み出す狂気

<<   作成日時 : 2009/09/11 05:17   >>

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私も最近また一つ歳を重ねた。精神病を発症してから、そのデメリットに苦しめられ続けてきたわけだが、最近よく考えることがある。
芸術家には精神病者、もしくはそれに準ずる精神構造の持ち主が多いのではないか。
精神病者だから芸術家向きだとかいう話ではない。
私が数千冊の本(9割はマンガ)を読み、幅広い(?)知識を身につけたのは、知的好奇心が半分。もう半分は強迫観念によるものであると推察される。絶えず新しい知識を仕入れ、そしてそれらをこねくり回し、或いは文章として吐き出す。私の精神は絶えず腐食し続け、幻覚や幻聴、それも耳にしたくもないような差別的で下卑たものが思考を侵蝕していくわけだが、新しい知識を仕入れていくことでそれを薄めていくわけである。
「まんが世界なぞのなぞ」シリーズに出てくる読書ドラキュラは1日に10冊以上の本を読まなければ死んでしまうが、それは肉体の死ではなく精神の死を意味しているのではないだろうか。作者は私と同じような感覚を持っていると思われる。
さて、そうした強迫観念が私を否応なく突き動かすわけだが、それによって様々な物語が生まれるなら・・それでもいいかと考えた。また、一般的に年を取ると体力の低下と共にがむしゃらに努力する気力が失せていくらしいのだが、私は強迫観念という原動力がある限りはそうならない・・・そのような意見も耳にした。納得だ。脆弱な肉体の私がガンガン小説を書いてブログも毎日更新できるのは、つまりはそういうことなのだろう。実に宜しいことだ。
ただしそれは、そういう面に限ってのことである。強迫観念は必ずしも芸術活動の原動力としてはたらくわけではない。むしろ命を無駄に廃棄する原動力となる。食い意地の張っている私だが、胃が痛くなろうが肌が荒れようが食欲は抑えられない。食っても太らないのは見かけだけで、血液はドロドロであると思われる。事実、いかに痩せてるとはいえ、私の腕は半ば老人のように血管が浮き出ている。
更にパソコンゲームで夜更かし・徹夜するのだから始末が悪い。小説を書いて徹夜するならともかく、フリーセルやハーツ、マインスイーパで体を酷使するのは馬鹿以外の何者でもない。最も始末が悪いには、それがいかに体に負担を与えているかを十分認識しつつもやめることが出来ないということだ。それすなわち、強迫観念。精神の生存は他の何物にも優先されるので、仕方なく今日も寿命を無益に縮めることになる。
所詮は精神病などデメリット以外の何物でもなく、それにメリットを見いだしたとしても、必ずついて回るデメリットの方が遥かに大きく始末に負えないわけである。精神病にメリットを見いだす行為は本人が自分に対してするなら回復への道標となろうが、他者が行うとなれば差別への入り口である。中に入ることになるかどうかは別として、精神病そのものは「悪」であると声を大にして言いたい。病人には当然人権はあるが、病気そのものに人権など無いわけだから差し支えなかろう。
精神病者の中では私は恵まれている方だろう。それでもデメリットの方が大きいと思う。原因を除去することが法的に不可能であるために、完治は諦めるほか無い。よって、生涯付き合っていく障害なわけだが、これからの事を思うと溜息が出てくる。
精神病をメリットだとか誇りだとか心の底から思える人は、極度に恵まれた環境にあるということだろう。大多数は多少恵まれた環境にあろうがなかろうが惨めな生活を送っている。
こうネガティブになるのも、私があまり中身の無い人間だからだろう。ろくな経験をしてこなかった分を数千冊のマンガやらで埋めたわけだが、その結果としてオリジナリティーの不足した人間が出来上がった。もちろん皆無ではない。それくらいの自信はある。しかし、自分の過去作品を読み、また、これから書く予定の作品について考え、そして、親しく付き合っている作家やマンガ家の作品と比較してみる・・。すると、どうもオリジナリティーに欠けるような気がしてならない。まあ、今主に書いている『エスパー奇譚』は、そもそもパロディから出発したからある程度は仕方ないのだが。
そういう手のことを言いたいのではない。様々な知識を頭の中に放り込んでこねくり回し、それを分解・再構築して文章として吐き出すわけだが、それは所詮、他者からの借り物でしかない。なにしろ自分の経験と言えば屈辱・憎悪・後悔・恥辱・嫌悪・曖昧・誤認・差別・偏見・・に満ちたものが多くて、とても面白い物語など作れそうもない。人間のマイナスの感情が物語に深みを与えるとはいえ、ものには限度というものがある。読者様に嘔吐物を浴びせかけるような行為はなるべく慎むべきだろう。吐きかけることが自己満足ならば素晴らしいことなのだが、自分も気分が悪くなり読者も気分が悪くなり・・では、何のために書いてるのやらわからない。満足が無い。
というわけで私の作品は(現実に比べると)ソフトな話が多いのだが、それは私が思いこんでいるだけで内面の毒が滲み出ているかもしれない。
話がずれた。完全なオリジナルが存在しないというのは知っている。何千年という文学の歴史は、面白い物語のパターンを全て網羅し尽くしたと渡瀬先生も言っている。後は組み合わせだが、更にそこに独自の「味」を加えるのが自身の経験だろう。私の「味」は毒の味だが、それ自体はエッセンスとなりうるものである。しかし消極的で受け身状態で経験したことが多いので、いざ物語を構築しようとしても書けない。どうしても書けない。語彙が乏しいせいもあるが、体験した屈辱が非常に多くの要素を含んでおり、それらが複雑に絡み、曖昧模糊とした状態を生み出しているために書きにくくて仕方がない。だいたい、綺麗さっぱり忘れたくて仕方ないような汚辱の記憶なわけだし、それこそ胃潰瘍になる覚悟で書くことになるだろう。
ということは必然的にオリジナリティーの不足した物語ばかりを書いてしまう。知らない人にとってはオリジナルだと思われるだけのことである。それはそれで楽しいし、騙しているわけでもないのだが、時々気に入らない。そんな気分になる。細かいことだが、気になるときはとても気になる。別にオリジナリティーが不足していても悪いことではないだけに、逆に余計気になる。我ながらひねくれ者だと思うが・・。
というわけで、たまにオリジナリティーに富んだ作品を作れたときは喜ばしいのである。ただ、その数はあまりにも少なく、寂しい限りである。どうしたものかね。
まあ結局は読者と自分がハラハラ・ドキドキ・ワクワク・ゾクゾクすればいいということなのだけど。
よし、最後は何とかポジティブに締めることが出来たぞ。思えば私も随分と明るくて活発な人間になったものだ(昔に比べて)。


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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
またまたこんばんは。
>精神病をメリットだとか誇りだとか心の底から思える人は、極度に恵まれた環境にあるということだろう。
その通りだと思います。
ある高名な精神科医の著作に次のような文章があります。
「私は思うのだが、”狂気の復権”も”病気との共存”も、安全な岸の高みから、患者でないものが語ることではないように思う」(中井久夫著「精神科治療の覚書」277頁より。)
あれっ?少し論点がずれてしまいましたね、この本からの引用は。
でも、患者自身で、精神病をメリットと考えるのは、確かにヘンなのです。
メリットなら、何故病気(≒生産性の低下)なの?ということになりますから・・・
ましてや、健康な人にそんなことを言われる筋合いは、ないですよね。。。
うまくまとめられなくて、すいません。
ましてや、健康な人が、
とちの木
2009/09/11 21:29
すいません、文章の最後をトチってしまいました。
とちの木
2009/09/11 21:42
>とちの木さん
誇りに思っているだけならいいんですが、それをあたかも一般的に通用するように語ってしまうところが問題なんですよね。障害者は横の連帯が難しい社会です・・。
精神病にメリットがあると考えなければやっていけない部分もあるのですが、必ずくっついているデメリットの方が確実に絶対値が大きくて、やはり病気なのだと実感させられます。ある程度は慣れても慣れきれない苦しさ。
論点がずれて? いやいや、まさに私が言いたいことを言ってくれています。安全な場所から上から目線で「自己責任」「今時の若い者は」だとか言う年配の人がいますが、それと同じような感じがします。「安全な高みから綺麗事を語るな」というのは、普遍的に通用する見地ではないでしょうか。
アッキー
2009/09/11 23:46

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