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zoom RSS 「電車男」より 〜二方向からの批判について〜

<<   作成日時 : 2010/01/14 00:06   >>

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今や懐かしいくらい時間が過ぎてしまったなあ・・。電車男とエルメスは、今頃どうしているのだろうか。
結婚して子供が生まれたとか、あの後すぐに別れたとか、様々な噂がある。
しかし、真実は藪の中。実際の話とはいえ、その後どうなったかは各々の妄想想像に任せるのがいいのだろう。誰かが既に言っていた気がするが。月宮のときと同じく、それぞれが言いたいことを言えばいいんだ・・。ただし公序良俗に反しない程度に。
というわけで私も、ちょっと分析みたいなことをやってみようと思う。
心配はいらない。私の小説が公序良俗に反するものがあったとしても、この文章は違うので。多分。

大ヒットした「電車男」だが、いろいろと批判も耳にした。
その中から興味深い2つを取り上げてみた。

・電車男はエルメスと付き合うために、どうしてオタクを捨てなければならなかったのか。電車男が可哀想だ。

・エルメスは酔っ払いから助けてもらったくらいで、どうして電車男と付き合わなければならなかったのか。エルメスが可哀想だ。

私がこの2つを取り上げたのは、同じ作品に対して、実に正反対の方向から批判がなされているのが面白いと思ったからである。
批判を面白いと言うのは、我ながら不謹慎極まりないな。善人ぶっても遅いか。
それはともかく、それぞれ頷ける部分もあるからこそ取り上げたのである。取り上げる価値の無い批判をネタに記事は書けない。

それでは、詳しく見ていこう。

前者の「電車男が可哀想だ」という批判について。
この批判の背景には、世間的にオタクは低く見られているという事実がある。
猟奇事件や性犯罪が起これば、容疑者の自宅から関連する映画やアニメやマンガやゲームやらが見つかったということを、大々的に報道する。
秋葉原などが歪んだ一部分だけを強調して特集番組が組まれたという話も耳にした。
とかく世間的には、オタクは「気持ち悪い」「犯罪者予備軍」と思っている人が大勢いるようだ。実際のところ、どれだけの割合で存在するのかは不明だが、私の教え子にもオタクを嫌悪している生徒がいた。
オタクの中にも「男女交際や性体験をしたことがない自分は価値が低い」と考えている人間が一定層いるらしく、「男女交際をするならオタクを捨てるべきだ」と考える人も少なくない。
それらに対するアンチテーゼということなら、正しい批判と言える。未だに「男女が性行為をして子孫を残すことが生物の義務で、それを果たせない人間は生物として駄目」などと言う輩が大手を振って歩いているのだから恐ろしい。誰とは言わないが。
オタクに対する差別や偏見が、オタクの中に歪んだ人間を作り出し、そういった人々がクローズアップされて、オタクのイメージが悪くなっていく・・・という悪循環がある。だいたい善人の集団ではないのだから、差別されれば一定の割合は心が歪んで当然だろう。「みんな社会が悪いんだ」「オタクは良い人たちばかりなのに」などという声を聞くと、やりきれない気分になる。ここに書くのが憚られるような胸糞悪い主張も耳にする。
あらためてはっきりと言うが、男女交際がオタク趣味よりも上等な行為だとは言えないのである。
しかし、だ。「男女交際をする“なら”オタクを捨てる必要がある」というのは、差別や偏見を抜きにすれば、ある意味では真理と言える。
「どちらが上等とも言えない」というのは、あくまで一般論である。個人的な感覚は、また別の話である。
つまり、「自分の中で男女交際を上等とするならば、オタクを捨てた方がいい」ということなら理解できる。
Y子さんくらいバイタリティのある人間ならともかく、およそ普通の人間には「オタク趣味と恋愛を両立する」のは不可能だと言っていい。
というわけで電車男の行動は、ある意味では正解と言える。
もちろん、オタクに対する差別や偏見は否定した上で、だ。

後者の、「エルメスが可哀想だ」という批判について。
この批判の背景には、未だに男尊女卑の世の中であるという事実がある。
政治家の男女比を考えれば誰でも理解できることだが、実態は更に深刻だ。私の周囲でも女性が対応に出れば「男を出せ」の一点張りというケースをよく耳にする。
妊娠中絶の話など言いたいことは山のようにあるが、どうしても今は冷静に話せそうにないので、ここは男女雇用機会均等法の話をしよう。
学校では、男も女も平等に働けるように作られた「良い法律」として習う。そして、この法律が十分に機能していないことを皆で嘆こうという茶番劇が繰り広げられていると思う。
しかし実態は、「女も男と同じようにこき使う」為の法律に過ぎない。様々な錯綜があるようで、正確な文言は私は知らないが、「何が書かれてあるか」ではなく「どう使われているか」が重要なので。
読んで字のごとく「機会均等」を謳っているのなら、「機会だけ均等」と同じことである。
同じ働きをしても女性のほうが男性よりも給料が低いことが多いのは言わずもがな。それだけでなく、産休や生理休暇も殆ど認められていない。そのくせ「産めよ増やせよ」と言う人間も男女問わず多い。
こうなると、お決まりの「生物学の悪用」である。「男の浮気は甲斐性」などという妄言や、子供のいない女性に対する侮蔑的な態度は後を絶たない。
「男尊女卑」かつ「いつまでも結婚しないのはみっともない」という愚劣な感覚が根強く残っている社会で、それらへのアンチテーゼとして、「何で助けられたくらいで恋が芽生えないといけないの?」という声が出てくるのは当然だろう。
自分を助けてくれた人間に感謝するのと、恋をするのとでは別の話だ。つまり、「助けられたら“必ず”恋愛が芽生え“なければならない”」というのは、おかしな論理なのである。
嫌な話をすれば、助けた人間が下心を持っていて、第二の狼orストーカーになるというケースも耳にする。
マンガや小説では「助けてくれた→恋愛」というのは自然な流れである。物語として面白くする必要があるからだ。
しかし現実では、無理やり面白くする必要は無いわけである。
しかし、だ。やはりそれも一般論であって、エルメスが電車男と付き合うことにしたのは悪くない選択だったように思う。ティーカップを送った件についてもいろいろと言われているが、それよりも私は電車男の人柄に注目する。
本を読んだ限りの印象としては、なかなか良い青年ではないかと思うのだが・・。私が汚れすぎているだけか?


さて、私の言いたいことが、おわかりだろうか。(←いちいち偉そう)
2つの批判の共通項を見てほしい。どちらにおいても、「男女交際至上主義(笑)」なるものが背景の一部に存在している。
どちらの批判も、差別され抑圧された人々の声だ。それらが対立していては問題の解決にならない。
ちなみに、前者の批判を行うのは男性に多く、後者の批判をするのは女性に多いような印象を受ける。どこかでねじれ現象が起こっているような気がしてならない。
「男と女」という図式ではなく、「強者と弱者」という図式なのだと思うが、そこが混線しているようだ。
男性でも女性でも、強い人間はビシバシやりあえるが、その犠牲になるのは弱者である。
簡単な例を示せば、「男は女に酷いことを言われても殴ってはいけない」「男と女は平等だから男が女を殴ってもいい」という理屈だ。
「女を殴る男は最低だ」「男と女は平等だ」という文言を悪用するとこうなる。
あくまで状況に応じて使い分けるべきであり、杓子定規に何もかもに当てはめるべき金科玉条ではない。
他にも「お前は顔が女じゃないから殴っていい」「男と女は平等でもオカマは平等でない」などという下卑た屁理屈も存在している。悪用は枚挙に暇がない。
正当性を得ると、迫害はエスカレートする。本物と偽者を見分けるコツは、弱者のことを第一に考えているかどうかだ。
もともと「女を殴る男は最低だ」「男と女は平等だ」という理屈は、社会的に女性一般が弱い立場にあるからこその文言であり、その本質は「弱者を守るため」の思想だったはずだ。
言葉自体が正しくとも、使う局面によっては、弱者を守るはずの言葉が弱者を追い詰めることになってしまう。
中には、迫害を正当化する理由として使えそうな文言を探してくる輩さえもいる。
もしも自分が社会的弱者であるならば、自分を否定する人間が、いかに正しそうな事を言っていたとしても、それは「言葉が正しい」のであって、それを「使っている人」が正しいわけではない。
全面性と具体性が欠けていると、どんな立派な言葉も人を傷つける凶器になるのである。
・・・・・・。
やったあ。何だか綺麗にアウフヘーベンできた。(ような気がする)


それにしても、オタクの恋愛を描いた話って、どうしてこんなに流行るんだろう。
ギャップがいいのかな。「オタクは恋愛と縁がなさそう」→「オタク+恋愛とか面白そう」ということだろうか。
もちろん私も「電車男」や「腐女子彼女」は大好きだ。
電車さんはエルメスな彼女(妻?)を、Y子さんはセバスな彼氏(夫)を、それぞれゲットした。
・・・・・・。
・・・・・・・・・。
う、羨ましくなんかないんだからねっ!(←おい)
・・・。
一之瀬会長のツンデレネタはともかく、本当に羨ましいと思えなくなったら私も最期だ。人の幸せに対して何も感じなくなったら、ちょっとヤバい。
「腐女子」「腐兄」の“腐”は、発酵の意味だ。だから、腐れば腐るほど人間として成長する。
しかし、私の精神は「腐敗」「腐蝕」の方面で腐っていくので、腐れば腐るほど人間として駄目になる。
一刻も早く「訓練された変態」として、自在にドーパミンを出せるようにならなくてはならない。悪い意味で汚れまくっている脳内を、良い意味で汚していくのだ。どちらの汚れが私の精神を支配するか、それによって今後の人生が決まる。まあ、悪玉菌と善玉菌の戦いのようなものだ。

今回は真面目な話だったから、「アッキーは頭を打ったに違いない」と思われた読者もいるかもしれない。
しかし、私は本当は真面目な人間なのだ。だから真面目な話は大好きだ。
これの一つ前の記事は、何かの間違いだと思ってほしい。

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内 容 ニックネーム/日時
電車男は映画、テレビ両方見ましたが、本は読んでいません。
私もネットの深海までよく潜りますが、いろんな本音や告白、願望を聞いて、それを作品に生かしている部分があります。
皆「人と違う」自分に焦り、悩んでいたのが、「自分と同じ考えの人」が大勢いることを知り、「自分は決しておかしくなかったんだ!」という喜び。
ネットならではのやりとりを深海で見かけます。
私の小説も「私はおかしくなかったんだ!」と読者に安心を与えたいから、きわどい内容になっています。
「あの人、変だよねえ」という自分は変じゃないのか?
それより自分は変態と自覚して妄想力で道なき道を切り開くほうが、パワーを感じます。
ちなみに私は普通です。
ここまで言って逃げるか?
そうではなく、SMは変態ではないので。スリリングなプレイです。
逆に夫婦はずっと同じ相手。ノーマルでバリエーションがもつのか?
力説してどないすんねん?
某サイトはSMはNGで中学生同士はOKっておかしいではないか!
世間の感覚のほうがおかしいのかもしれません。
でもこのテーマでの賛否両論は尽きないと思います。
ロリコンだって何歳からロリコンかは千差万別でしょう。
何歳から大人という議論とは異なるので。
一度朝まで生テレビで…やらないか。
じゃあNHKで…もっと無理。
ヤバい話をまじめに語ると結構面白いんです。
沢里尊
2010/01/14 22:30
>沢里さん
日常生活で「異端」とされている少数者が、すぐに仲間を見つけられる。ネットの良いところですね。私もネットで得たものを作品に大いに生かしています。
ネットの海とは比べ物にならないほど狭い日常の陸地では、なかなか同じ考えの人には巡り合えない・・。
日常生活では、過去から現在に至るまで、友人と呼べる人間は1人もいません。ネットをやっていなければ、生涯友情を知らなかったかもしれませんね。
人を「変」だと罵って「普通」であろうとするのは、むしろ歪んだ人間ではないかと思っています。何をもって「普通」とするか。
自ら進んで変態になる必要はないのかもしれませんが、自分の中にある変態性を認識することは重要ですね。そうすることで、自分の中で「普通」と「変」が共存できる。
狂気を描くには、自分は正常でなくてはならないと思います。それと同じで、変態を描くには、まともな感覚も知らなくてはならない。実は変態小説を書いている人間の方が正常な感覚だったり・・。
変態性を自覚しても、普通の感覚は捨てていない。だからこそスリリングな作品が書けるはず。
SMの話も、マルキ・ド・サドやマゾッホの人生をドキュメンタリー形式で放映するとかしたら面白いと思うのですが・・。ロリコンなら、ナボコフの「ロリータ」や、ルイス・キャロルの「ふしぎの国のアリス」など。
いやもう、語りつくせない。
アッキー
2010/01/15 01:26

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