佐久間闇子と奇妙な世界

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zoom RSS 去り行く2011年、来る2012年

<<   作成日時 : 2011/12/31 00:10   >>

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あの大地震から9ヶ月が経ちました。未だに震災の傷は癒えていません。
阪神・淡路大震災の被災者の中にも、未だに心の傷が癒えてない人がいるのですから、当然でしょう。
恐ろしいのは、苦しんでいる人間がいるのにも関わらず、事態が収束に向けて動いていることだと思います。

苦しんでいる人がいる。原子力発電所を停止すべきだという意見の根拠も、本来的にはそこにあるはずです。
放射能を撒き散らす(放射性廃棄物の問題を含む)こと、核兵器の製造を可能にする(政治的な疾病を含む)こと、これらを否定するつもりは無いのですが、一番に前面に押し出すべきは、発電所で働いている労働者の被爆についてではないかと思います。

前述の2つについては、どうも話が専門的ないしは複雑になる傾向があり、相応の特化した知識や認識が無ければピンとこないことが多いように思います。
しかし労働者の被爆は、あまりに現実的な恐怖です。
被爆したいと思って働いているわけではなく、業務命令を遂行しようとすれば必ず被爆するのです。

本当に恐ろしいのは放射能なのか?
金を稼ぐ為には健康を犠牲にしなければならないという構図が出来上がっていることの方が恐ろしくないか?

もちろん放射能は恐ろしいです。核兵器の例を持ち出すまでもなく、癌で死ぬ人間の多さは周知の通りです。
原発の例だと、被爆した労働者の皮膚が目視できるスピードで焼けていく映像はショッキングでした。

しかし被爆の問題に限定してしまうと、原発から遠くに住んでいる人にとっては他人事でしかありません。
ところが、労災となると話は別です。金を稼ぐ為に健康を犠牲にしているのなら、原発の労働者と同じことです。
程度の差こそあれ、根は同じです。健康を損ねてまで業務命令に従わなければならないとしたら、それはパワハラです。小難しい言葉を使えば、収奪であり労働疎外です。

子供の被爆が問題になっています。もちろん子供を被爆させてはならないと思います。
けれど、本来的には誰も被爆させてはいけないはずです。
原発で働く大人なら被爆してもいいなんてことはありません。

問題の本質は常に、苦しんでいる人がいるということではないでしょうか。
問題を限定すればするほど、対応できる人間も少なくなります。また、話もねじれやすくなります。
苦しんでいる人間が苦しまないようにする。その発想をベースにしなければならないでしょう。
子供に限らず、被爆者に限らず、被災者に限らず、全ての人が苦しまないようにする。それくらいの勢いが必要です。

志だけでも高く持たなければ、最低限の目標すら達成できないのが現実です。
どうせ現実の厳しさによって、志なんて幾らでも下がります。大概は志より遥か下のことしか出来ません。
となると、志は高く持った方が得です。志の高さゆえに軋轢が生じるリスクと、志の低さゆえに最低の目標すら達成できないリスクを比べれば、後者の方がリスクが大きいと思うのです。

単に“復興”するだけでなく、それに伴って既存の問題を洗いざらい検討して解決の方向へ進めていく方が効率的です。
たとえ“復興”しても、失った命は返ってこないわけだし、傷ついた心もなかなか元には戻りません。完全に元通りに出来るわけはなく、元の状態の劣化した状態に戻るだけです。

これは私の個人的な状況とも通じるのですが、単に精神病を“治す”だけでは損だと思うわけです。
散々な苦痛を味わい、多くの労力を払って、得たものが“健常者として歩んでいた人生”の劣化版なんて、やり切れません。単に治ればいいというものではありません。健常者として生きていたら得たはずのものを全て得ないことには満足して死ねません。それが無理ならば、代替となるものを得なければ納得できません。

要するに私は欲張りなんです。別に精神病者だからといって謙虚でなければならないとは思いません。
同じように、被災者だからといって大人しく助けを待つ子羊でなければならないとは思いません。
倫理に悖らない最大限の範囲で、主張・要求・行動し、幸福を追求する権利があるはずです。

・・・と、勇ましいことを言いつつも、現状を考えると萎えてくるのも事実です。
なので、別に“行動するべき”だとは言いません。私など行動しない人間の最たるものですし、あまり無責任に他人を煽りたくないんですよね・・・。
精神病にならず、精力的に活動を続けられていたら、こんな士気の下がることを言うこともなかったのですが。
そんなことを考えると、げんなりしてきます。何だか溜息をつきたくなってくる・・・ハァ・・・。



またしても愚痴のオンパレードになりそうなので、小説の話に移ります。
やはり私を癒すのは二次元だと思う今日この頃です。

2011年は、「千里」の第九話からスタート。番外編まで含めて第一部が無事に完結し、他にも様々な話を発表したことで、『エスパー奇譚』の躍進が目覚しい年でした。
「佐久間と山田のけだるい日常」第二部や「ドクター八武の怪しい診療」も連載できて、本部も賑わっています。
小説以外でも、脳内会議やコメントでのやり取りなど、佐久間たちの出番は衰えません。

そして何といっても、デュエル小説を新たに開始したことが大きいですね。
2011年の後半は半分近くの日々がデュエル小説の連載でした。
しかし、むしろ本番はこれからです。まだまだ書きたい二次創作、三次創作はたくさんあります。
今後も、決闘学園シリーズ、プロジェクトシリーズ、ハピフラシリーズの関連が多くなると思います。

デュエル小説を書き始めてから、チャットに参加する機会もありました。
以前はチャットなんか自分には無理だと思っていましたが、やってみると案外いけるものですね。
もちろんズレた発言をしてしまうこともありますし、発言のタイミングを逃すことも多いです。
それでも、だんだんと慣れてきたように思います。

おそらく数年前の私なら、チャットに参加しても何も出来なかったと思います。
そう考えると、確実に会話能力が上がっているということになる・・・のか・・・?
まあ、油断は禁物ですが。

ところで、GX再放送も残すところ数話ですね。
読める作品が増えて嬉しいです。GXの“その後”を描いた作品を読み進めています。
それにしても原作HPには私好みの男が多い・・・。素晴らしいィ・・・・・・。
おk・・・ゲフンゲフン、襲いたくなりますね。

それはさておき、2012年の予定。
1月1日から「決闘都市」を連載することは決定しています。その後ですが、幾つか完成している小説や、執筆中の小説を、どの順番で発表しようかということについては決めていません。
どうせ計画通りにはいかなくても、計画は立てておいた方が良いのですが・・・。

小説とは別に、エッセイも不定期ながら着実に増えています。
過去の小説を読み返すのは平気ですが、過去のエッセイは今や読み返すのが恐ろしいレベル。
もはや今とは考え方や感覚が全く違っているものもありそう。
それについては変化ということで許容できるのですが・・・。

恐ろしいのは、上から目線で書いていたり、生意気なことを言ってたりするもの。
しかし消してしまうと安心して気が緩み、同じ失敗を繰り返しそうな気がする・・。
理由はそれだけではないですが、今後も消すことはないでしょう。




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「去り行く2011年、来る2012年」
「去り行く2011年、来る2012年」について 3月11日。2時46分。聞き覚えのない、サイレンとも違う警報が街に響き渡りました。聞き覚えがない警報だけど、ただ事ではないという予感を体が感じていました。 そのあと起こったことについては、今さら語るまでもないと思います。 私は死ぬかと思いました。生まれて初めて逃げる準備をしました。逃げるということは、生きようとしていた証拠です。 なぜそのようなことを言うのかというと、そのあと震度3、4、5という余震が5分ごとに何時間にも渡って続くので... ...続きを見る
ラブ★ミッション スーパーヒロイン危機一...
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内 容 ニックネーム/日時
「忘れられない年」になりました。
本当に一言では言い尽くせないほど、いろいろなことがあった一年だったと思います。
「もしかしてここで・・・」と物理的に人生の終わりを予感する体験は、今年の春が初めてかもしれません。自然という強大な力が牙を剥いて自分に降りかかるような感覚というのは、やはり稀な体験をしたと思っています。
そこで得たものというのは、いつ旅立ちが来ても悔いのない生き方をするということ。
未来のビジョンを描きながらも、後悔のない航海を続けていく。「書き残す」というのも、その一つです。胸中にしまったままなら、そのまま一緒に消えてしまうので、書き残す。語り残すという作業は、非情に有意義だと思います。
政治が国民を変えるのではなく、国民が政治もマスコミも社会も変革していくのが理想。
今は政治家とマスコミに国民がリードされてしまっている。
ともあれ、絶対に自分は操作されないという誇りが大事だと感じます。

ブラックホーク
2011/12/31 00:45
>ブラックホークさん
数年ぶりに、鋭敏な感覚で年越しが出来るように思います。精神病になってからというものの、あらゆる感覚が薄くなっていたのですが、今年は昔の人間的な感覚が戻ることが多かったです。
世相を反映しているのかもしれません。激動の時代に入ってきて、一昨年より去年、去年より今年と、変革のうねりが大きくなっていると感じます。理不尽に対する怒り、このままではいけないという不安と焦燥、それらが渦巻いているのが伝わってきます。
今の政府やマスコミには任せておけない。自分たちで社会を運営していこうという動きが、あちこちに見えています。
自然という怪物は、本当に恐ろしい。火山と地震の多い地帯、いつ災害に襲われるか・・・普段は鈍くなっている感覚が、何かにつけてクリアーになるときが多いです。頭の中で考えているだけだと、自分の死と共に消えてしまう。それはもしかしたら、死ぬことよりも恐ろしいかもしれません。全てを書き尽くしたら満足して旅立てるのか、それはまだわかりませんが、出来るだけ後悔が残らないように書き続けたいと思っています。
アッキー
2011/12/31 02:33
あけましておめでとうございます!
本当は私は喪中なのでよくないのですが、
ま、これくらいは大丈夫でしょう・・・

てな感じで(?)今年も叱咤激励をよろしくお願いいたしますm(__)m
とちの木
2012/01/01 04:32
>とちの木さん
あけましておめでとうございます!
私も、おめでとうという言葉が相応しいかということに、年々疑問が膨らんでいたり・・・。
ちなみに朝に発作があったりしたのですが(新春早々・・・)、今は逆に普段よりも落ち着いている感じです。
今年もお互いに励まし合って、良い1年に!
こちらこそ、宜しくお願いします。
アッキー
2012/01/01 21:18
新年のご挨拶を申し上げます。
…というあたりが無難なのでしょうか。去年はアッキーさんも書いておられる大震災と原発事故の問題があり、もしかして身内を亡くされた方も多いのではないかという気持ちもあります。
しかし、何はともあれ、新年は様々なことにひとつの区切りをつけるいい機会ですね。
今年もよろしくお願いいたします。
すずな
2012/01/01 21:43
>すずなさん
謹賀新年・・・と返すのが無難、なのでしょうか。謹む、かしこまる、というのも若干ズレている気がしないでもないですねー。
ともあれ、こうして生き残ることが出来ました。ネットの知り合いも、それまで更新していた人が、あの日を境に更新がストップする・・・などということもなく、今に至ります。
それでは、こちらこそ宜しくお願いします。
アッキー
2012/01/01 23:49

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