佐久間闇子と奇妙な世界

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zoom RSS 地震発生から10分以内に

<<   作成日時 : 2013/11/04 00:20   >>

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避難することが出来れば、生存率は高くなるそうだ。
しかし実際、難しそうだ。。いつ来るかわかっていれば何とかなりそうな時間だが、心が傷つくときと同じで、急に来られると首尾よく対処できるとは思えない。まして寝てるときならば猶更だ。

これから30年以内に、60パーセントの確率で、再び関西にも大地震が来るそうだ。
ニュースでは、洪水の被害で13万人が犠牲になるということを、細かく具体的なデータを元に算出していた。
そして、地震発生から10分以内に避難できれば、犠牲者は8800人ほどに抑えられるだろうとも。

こういう話を聞くときに思うのは、犠牲者をゼロに出来ないなら喜べないし、恐いな、ということである。
いじめ問題では自分が“数少ない”犠牲者になっていただけに、災害などで死者が出るのは仕方ないと嘯く人に対しては、真っ先に貴様が死ねよと言いたくなる。
犠牲者を減らすのは、誇らしい成果であっても、喜ぶべき成果ではないと思っている。

しかし、こういう考え方すら傲慢かもしれない。
よく災害を食らう地域に住んでいる場合、“仕方ない”と受け入れることで心の安寧を保っているのだとすれば、そういう人に対して刺々しい物言いはしたくない。
先程の物言いを裏返せば、真っ先に死ぬような立場の人は「仕方ない」と言う権利がある。


住んでいる場所、生まれ育った環境で、人間の感覚や思考は驚くほど異なる。
ニュースでは、近い地域であっても被害に落差があると述べられていたが、そういった様々な諸条件の違いが、思考や思想に影響するのは避けがたいものだと思うと、何やら空恐ろしい気分になる。

なるべく普遍的な物の考え方をしたいと思っても、人間の感覚というのは圧倒的に無意識が培うもので、どれだけ自分が他人と感覚的に相容れないのだろうと、恐ろしくなってくるのだ。

広く世界規模へ目を向ければ、自然環境の厳しい地域ほど、“和を以って尊し”あるいは、暗い感じの思考や思想が多くなる傾向にある。
例えば、地震・噴火・台風が多い日本は、和を以って尊しの最たるひとつだろう。

というわけで、いわゆる“国民性の違い”みたいなものがあるのは、私も異を唱えるところではない。
民族の違いではなく環境の違いに起因する、という注釈はつけたいが、れっきとした差異は存在する。

それが多様性という作用をもたらすならば良いのだが、実際は矛盾軋轢の温床としても機能している。
だからといってファシズムや世界支配などを唱えるわけではないし、ましてや言語統一など愚の骨頂であるが、そうした愚かしい行為を切り捨てきれないくらいに、“違いによる対立”は、やりきれない。

これが健全な対立であるならば奨励すべき(運動会で順位や点数をつけないなど以ての外!)だが、そもそも“健全な対立”というものが、双方とも“同じ”ルールで争っていることを前提にしている。


全世界的なレベルで考えれば、結局は「人命尊重」あたりが落としどころになってくるのだろうか。
大きなものを扱うほど精度が下がる(宇宙の年齢は人類の歴史を凌駕する誤差がある)ものだが、何ともやりきれない思いである。

この「人命尊重」でさえ、未だに人類の統一基準にはなっていない。もちろん私も、心が参ってるときなどは、「人命尊重なにそれ?」みたいな気分になる。

「どうして人を殺してはいけないの?」という問いに対する明快な答えのひとつは「法律で決まってるから」であるが、それでは何故そんな法律が決まってるのかというと、「人を殺していい社会では、殺されないように使うエネルギーが、人類全体の生存(または社会全体の維持)を脅かすほどに大きいから」である。

つまり、禁止事項に関しては、それが禁止されていないことによるデメリットを考えると、ルールのルーツがわかる。

ところが、である。
そのデメリットが個々人で“違いすぎる”。

人類全体の維持を考えれば、殺人が愚かなことは、理解できる。
しかし個人の維持に関しては、いささか事情が違う。

個人に関しても、殺されないように使うエネルギーは膨大なので、多くの人は殺人を禁ずる。
ところが、この理屈には2つの穴がある。

肉体的・精神的、あるいは社会的・経済的に、殺し殺される社会でも生活が維持できる強者。
その逆に、殺人を禁ずる社会であっても、同じ項目で生活が維持できない弱者。
そういった人々にとっては、このルールを守る理由が薄らいでしまう。

実際これは思考ゲームではなく、現実に起こっていることで、殺人が無くならない理由のひとつでもある。
厳重な警備に囲まれた金持ちや政治家が、戦争を推し進める。
貧困に苦しみ粗末にされる人々が、どうせ粗末にされるならと、戦場へ赴く。

穴が1つではなく2つだと分けたのは、この前者と後者で決定的な違いがあるからだと感じるからなのだが、カネに困ってきた人間の戦争賛成には、どこか親近感を覚える。
“生きていればいい”という考え方は嫌い(「魔王」で言えば、“死んでるように生きたくはない”)だ。

とはいえ、“死んだら何にも出来やしない”ので、折衷案めいた言い方が“生き抜く”なのだが・・・。

いずれにしても、生存+αを求めたいものだ。


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内 容 ニックネーム/日時
13万人の犠牲者が8800人に抑えられる? 揚げ足は取りたくないし、この数字を発表した人も悪気はないという前提も百も承知で、でも、8800人も犠牲者を出したら、おしまいです。
日本沈没です。
8800人の中に自分と自分の家族は入っていないと思います。あくまでも死亡者ゼロを目指すべきです。
建物は破損するかもしれないし、経済的な打撃はあるかもしれないけど、人間の生命だけは守りたい。
一人の犠牲者も出したくない。出してはならない。嘘でもそういう言葉がほしいです。
「そんなの無理に決まってる」という声が聞こえてきそうですが、あの311のとき、多くの人が「もう二度とこんな思いはしたくない」と思ったはず。
ならば、その気持ちに正直に生きていいと思います。自分が生きている間は、死ぬその日まで、巨大地震がないことを祈り続ける。
政治家や科学者は「祈っています」と発言するわけにはいかないので、防災の研究と準備は持続するべきだし、個人においても、防災意識を高めたり、防災グッズを準備することは大事だと思います。
最高の防災具は現金かもしれません。
殺人を減らす最大の近道は貧困撲滅だと思います。すべてにおいて、貧困撲滅が鍵を握っていると思えてなりません。
ブラックホーク
2013/11/04 21:14
>ブラックホークさん
かなり細かく分析されているので、私も揚げ足を取りたくないのですが、やっぱり犠牲者ありきの結論は首をかしげてしまいます。それが避難の限界であるならば、どうしても治水工事などが必要になってくるということになります。
どのようにして治水を施すべきか。雨量の多い日本では、地震対策だけの意味には留まらない、一石二鳥の意義のあることだと思います。
何よりも、死んでしまったら、その打撃は計り知れない。311のときは、親しい人が亡くなったらという恐怖でパニックになりましたが、あのときの不安を今でも思い出せます。ネットで遠距離とも繋がれるようになった現在、もはや「どこか遠く」ではありえないのだと、理屈だけでなく実感を伴った感情があります。
生き残っても、その後の生活が貧困では、生き残った意味や意義が薄れてしまう。死なずに済んでも「死んだ方が良かった」と思ってしまうような事態は避けたい。避難した人々の様子を聞くと、自分だったら耐えられないと思います。発作が起きて、人から迷惑がられたり怒鳴られたりする光景が容易に浮かびます。避難した後の諍いで殺されたりしては、何の為に生き残ったのかわからない。
この社会、何をするにもカネが必要で、生き抜くにもカネが無ければならない。無論カネの奴隷であってもいけないですが、文化的な生活レベルを維持するだけのカネは絶対に必要ですね。
遠い未来では“カネ”という概念が経済から消滅するのかもしれませんが、それこそ我々が死んだ後の話であって、まずは生活が安定するだけの現金、財産。いつ来るかわからない“いざというとき”の為に、蓄えは必須だと思います。
アッキー
2013/11/04 23:23

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