武漢コロナ語感良い

またしても気絶していたらしい。
起きたら夜中の1時を過ぎていた。

徐々に気温が春めいており、
高気圧にも覆われているのだが、
その周囲を前線や低気圧で包囲されており、
さっきから吐き気が止まらない。

まだまだ自分が“病人”であることを思い知らされる。
パソコンよりも、具合が悪いのは自分自身だ。


武漢と言えば、今回のコロナ騒動よりも
なんてったって要害として記憶している。

中華の堅牢な関所といえば、
いっとう有名なのは函谷関だと思われるが、
虎牢関や武漢など、匹敵するものが幾つかある。

今回、中国が武漢を逸早く封じ込めたのもあって、
その意味でも相応しいネーミングかもしれない。


相対的に呑気な感想を抱いているのは、
コロナ肺炎よりも、人間の過剰対応こそが
よっぽど怖いからだ・・・と、少し前にも書いた。

対応が“過剰”なのは、新型コロナ“のみ”に
ここまでの反応を示しているからだ。

毎年のように蔓延しているインフルエンザなど、
様々な疫病に対しても、同じ対応をするなら
まだ分からなくもないのだが。


死人が出ているのも確かなので、
あまり“過剰”と言うのも不謹慎なのだが、
通っているお医者さんなどは
もっと割り切った境地を述べてくれた。

役に立たなくなった老人が疫病で死ぬのは、
それで構わない、と言うのである。

なんとも凄まじい、というよりは
本人が年配なので(若者が言ったら嫌だ)
さばさばしている考え方、と捉えるべきだろうか。


私としては、老人が死んでもいいとは思わないし、
役に立たない、という物言いは若干刺さるのだが、
しかし将来、自分が老人側の立場になったのを想定すると、
ただ延命するために、若者に負担を強いたくはない。

お医者さんとして、別に死にたいわけではない。
むしろ、QOLの理念に基づいて、
役目を果たし続けようと邁進中だ。
“生きる”というのは、ただ生存するだけではなくて、
そのあたりに私との共通性がある。

私の中には、不死願望と希死念慮が同居しており、
そのあたりはお医者さんと相容れない部分でもあるが、
この二律背反は、矛盾ではない。
“不死”というのも、ただ死なないだけでなく、
目的ありきの状態であり、超人願望の方が正確だろう。


・・・語感の良さは重要なファクターだ、
みたいな話をしようと思っていたのに、
何故か創作論ではなく人生哲学みたいになってしまったw

まあ私は、しばらく悟れそうもないね。
無悟の境地も、ひとつの悟りかもしれないが。






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