首藤ショック

何年も前に考えたことが、つい昨日に考えたように
くっきりと意識に現れるのは、相変らずだ。

アニメ・ポケットモンスターの制作に深く関わった
故・首藤氏の最終回構想と、それに伴うメッセージは
決して浅くない爪痕を残した。

それは例えば、手塚治虫のアトムに対する評価に
ファンが受けた傷と似ているかもしれない。
作品が他ならぬ作者によって否定されるのは、
子供が親に否定されるようなものだろうか。

晩年の父親が事あるごとに私に向かって
育てるのを失敗した、失敗したと謝っていたのは、
それ自体が誤りであると思うし、
こんにちの私が突発的に自己否定冠に襲われるのは、
彼に受けた傷と無関係ではないだろう。


言わんとすることは、わからなくもない。
これが「外」からの物言いであれば、
くだらない大人がいる、という認識であり、
軽蔑と怒りしか生じない。

恫喝おじさんに成り下がった、末期の父親は
もはや完全に軽蔑の対象であるが、
破綻に至るまでの経緯としては、
私自身、同調する部分もあった。

せっかく手塩にかけて育てた子供が、
わずか18歳で精神疾患―――彼の言う“気違い”に
なってしまった失望たるや想像に難くない。

初めて育てたスライムがポンコツ型だったら
そりゃあガッカリするというもの。
ゲーマーとしては、よくわかる心理なのだ。


アトムに関して語ると長くなるので割愛するが、
内部と外部、という点だけ触れておくならば、
コミック焚書に対する矢口高雄の見解を挙げておきたい。

マンが全般を、くだらないと罵る大人は、
そもそもマンガを読んでいない、という指摘は納得だ。
「内」にいるならば、くだらないマンガ“も”ある、
という物言いになるはずという見解は、私の感覚とも合致する。

外野からの汚いヤジは聞くに値しないが、
内側からの声は実に複雑、こうして何年も考え続けている。

内側も内側、制作に深く関わった初期精鋭の1人が、
「子供のままの大人」を否定する姿勢を見せたのは、
たとえ失望を覚えても、ヤジとは別個に考えたい。

なんてったって首藤氏自身が、
「子供のままの大人」なのであるし、
そうした人物でなければ、優れたる創り人には
なれやしないと思うのだが―――――


コミック焚書への反発、反骨精神が
様々な傑作を生みだしたコミック史を思うと、
敢えて子供たちに傷を残すことで
「仲間」を増やして次の世代へ託したと考えるのは
穿ちすぎかもしれないが・・・。

「仲間」の数は、そりゃあ多い方がいい。








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